KEIKO KOMA Webサロン

経験を経て


京都コンサートに参加させていただきました。19日、20日の三鷹コンサート、その前の5日、6日の府中コンサートで、自分存在はどう表し生きたらいいのか、経験する前から、これは違うかもと感じていたにも関わらず、流れる方へとにかく進み、新しい介護の仕事に勤務し、それもこの10月限りで終了することとなりました。生命で願っていたことはそのまま表に現れまして、いろいろ心揺さぶされながらも安堵しています。次の段階へ進ませていただきます。この度のグループホームで出会えた認知症の方と触れ合うことにより分かりえたことは、今後に役に立つこととわかり感謝よりありません。この度の経験では、先生が福祉の世界でなされ、福祉の仕事の経験をもとに創られることとなりました、いだき講座のことをよく考えます。人間誰もが死を迎えます。認知症になる方、ならない方の違いは、元気な時、人間どう生きていたのかの結果が顕れてくるのか、と、立派な役職で人々に役立つ仕事をしておられた医者の方も認知症になってしまう、自分の旦那のことも誰だったかわからなくなっている方など、全然好きでもないことしていたのかな?。。など、その原因はいろいろあると考えられますが、正しい生命感覚、そして、それによる決断と実行は本当に大切だと、甚く感じさせられるのです。また、自然破壊、霊界が創った社会の歴史のありようにおける現代社会、食生活、精神、心、魂、が、肉体に及ぼす何かがあるのだと考えると、この社会で生きてこれて、先生と高麗さんに出会え、生命救ってくださったことは、先祖の導きよりなかったことに感謝深く、過去を振りつつも、これからやることあるのだ、と、これからも、生命感覚大切に、向上していきたい気持ちです。

京都コンサート2部では、イエスキリストが顕れ、人間を説教しているようにも感じ、退廃した精神社会の空間に情けを施しているようにも感じました。2025年には、介護する人が7万人足りなくなる、と、介護教室の先生からお聞きします。人は生きていけなくなる未来を案じますと、社会全体の大問題になり、若い人たちが生きていけなくなると感じます。一緒に働いている若い人たちの食生活も気になることです。生まれてくる子供や、若い人たちが生きていけるには、世界中が愛によって生まれ変わらなければならないときにきているのか、と認知症の方々の日々の施設内での生活の繰り返しの介護する側の現実に触れ、思考は飛躍します。
このようなことを考えているうちに、コンサートは終わってしまいました。もうそれは、パイプオルガンの音では飛び上がるほど、超別次元に飛び出し、ギンギラ銀の熱射を浴びてすべての細胞がとり替わったような体験でした。光の気球にくるまりどこに旅立ったのでしょうか。帰りのバスの中では、恥ずかしいのですが、私は寝言を言った自分の言葉で目を覚まし、ドキッとしてしまうことから、天生はそうなのか、と、感じ取ります。先日の京都応用コースライブではいつしか意識を失い目がさめた時はパソコン周りの空間は夕焼け色に染まっており、どこに行っていたのか、と、経験した何かを知ってみたいです。京都コンサートでは、高句麗伝説にむかう、なにもない内面になり、このまま、向かうコンサートで、新たなことをしていく、道であります。とりとめない書き込みをお読みいただき、ありがとうございます。

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