生きる力
京都コンサート翌日の京都事務所での2つの講座にて、コンサートの経験もより深まり、生きる力となっています。「死について」の講座では父母、兄の死について考え、自分自身も死についてを考える時となりました。先生のお話を伺いながら、自分で考えていける機会となり、生きる力をつけていけますことが大変ありがたいことと感謝します。応用コースでも、高句麗伝説のお話をしてくださり、11月1日が近づいていますので、歴史的祭典と感じています高句麗伝説の舞台について詳しく知ることができ、その凄さを多くの方々にお伝えしたいと考えます。終われば、全て解体し、次はゼロから音を作っていくとのことは皆様にお伝えしたいと考えます。毎回全く違う内容であり、経験であります。一度参加したのでとおっしゃる方がおられますが、即興ですので、毎回まるで違うのです。楽器も毎回解体するというのですから、いつも未知なる経験となります。コンサートでもピアノの調律を何度もしていただき、神がきてくださる演奏をしてくださっていることも先生のコンサートでより経験できないことと感謝します。少しでもずれていると神が少し遠いとは、先生よりわからないことです。高句麗伝説でもコーヒー焙煎でも五女山を表現してくださる時は五女山がくるとお聞きしています。五女山は私も行っていますし、その凄まじいエネルギーを身に感じていますので、言葉によっては表現しつくせぬ五女山のエネルギーをそのまま表現してくださっていることの凄さに畏れ入ります。そのままどころか私が感知できないエネルギーや存在までも表現していただき、より五女山を体感できますことは私にとっては最高の喜びであります。私は五女山に行くと、生命全てが喜びに満ち、至福感に包まれます。先生の演奏により五女山に居る時の最高の喜びに満ちる自分であれることがとてもうれしくありがたいことです。このことはひとつの例ですが、神、おおいなる存在、イエスキリスト、イシス。。。望んでも決してお会いすることのできない存在にお会いできます先生のコンサートを経験できます私たちは特別の恩恵を受けていると感謝に堪えません。抱えきれないたくさんの花束をまわりの人にも世界中の人にも分け合い、皆で喜び合い生きていきたいと望みます。今日のお話にもありましたが、全身の力が抜ける経験も先生のコンサートでは経験できますが、普段の生活では緊張や不安、恐怖で思わず力が入ることは身をもって経験しています。力を抜くこと、筋肉をつけること、すべてに必要なことを身につけていけます経験は先生のコンサートです。昨日のコンサートにて神がはたらく体を経験できましたので、悲願は成ると身の内で感じていけます今日からは、希望をもって生きていけます。
11月1日に向かい、たくさんの方々と共に経験できますようにお伝えしていきます。ありがとうございます。