いのちの音
12月に母の一周忌を迎えます。父が95才で亡くなってから、約12年、母がひとりで住んだ思い出多い家を私に残してくれました。東京の下町からどんどん千葉県方向へと家を住み替えて、木更津という土地に家族が落ち着いてから40年の月日が流れた思い出多い家は、屋根の修理、基礎工事が必要になるか、などの瀬戸際にあり、修繕費が相当かかります。自分達の老後を家族中が心配しています。店がやれなくなり、収入がなくなってからどこに住むのか、収入がないのに東京で賃貸で暮らすのか、修理に費用がかかっても家族がいる木更津の家に住むのか、遠い未来ではなく答えを出す時期にありますがぜんぜん答えは見つかりません。老後老後と言葉が飛び交うなか、京都コンサートをお聴きできました。いのちの音、いのちの声が自分のうちにありました。一貫してあるいのちの声、飛び交う外からの声ばかりが頭の中に鳴り、いつしか自分の中に老後という巣が出来上がり、引退後を見据えながら周りやこれからのことを考えていくように頭は動いていました。
どんな困難があっても先をつくる、いのちの声は一貫しています。いのちの音を、パイプオルガンに、ピアノに聴き、涙が溢れて仕方ありませんでした。生きる光はいのちのなかにあります。一貫してありつづけるいのち声のままに生きてみたいです。
素晴らしいコンサートをありがとうございました。