明らかになった諦めていたこと
第一部、この演奏をじっと座って聴いていなきゃいけないなんて、どんな拷問なんでしょう!!(歓喜で踊り出したい気持ちでいっぱいでした)
まるで自らの内臓を直接鍵盤として叩かれているかのように身体と響き会う音!もっといい音なるでしょ!と問われているかのようでした(まあこれは私の勘違いかもしれませんが)
とにもかくにも、こんなにも全身の精力を使うようなコンサート後になんでペチャクチャ話せる余裕があるのか、私は理解できない笑(非難の気持ちはありませんよ。念のため)
さて、本日も余談はさておき、私は人間関係はすべからく肩が凝るものと諦めていたんだなとわかりました。もう普段から肩凝ってばかりでした!今は肩が凝らない人間関係を探す元気が湧いています。
たとえば本日のコンサートで言えば、全身の精力を使った~!と深いところで感じ会える相手をこれから探したいです。無理なのに、人と同じように生きようとするから苦しくなるんだ!もちろん判で押したようなカテゴライズのなかで生きる必要もない。だから、ペチャクチャおしゃべりできる人を非難するつもりはないのです。そういう方もいらっしゃる、と。ただ自分は肩が凝るのでやめたい、と。
ひとまず美味しい夜ご飯を食べます! 追記 正確に覚えていないのが悔しいのですが、与えられた場所で精一杯生きる、、、といったニュアンスの言葉が強く心に残りました。後日改めて確認します。
先生ありがとうございました。
中川秀之