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対象化と真


府中ウィーンホールコンサートの2日目の一部にて、イシスは女神と知りました。マグダラのマリアの女性性とイシスはひとつとお聴きしていたのに、何故か神は男神と知らず知らず思い込んでいたのです。女神とお聴きして、働かない頭に自分でも酷いなとおもいながらパイプオルガンの演奏をお聴きしても、体は姿勢がよくなりますが、気持ちが先生の演奏と隔たりがあり、音がずっと遠くにあります。体と意識が乖離した状態がずっと続きました。対象化。わかりたい、感じたい、その思いは対象としている意識からと一部の終盤になって感じました。神という存在を対象化している限り、自分のいのちを部分にしているのだとわかる一部になりました。

二部はメッセージの最後、みんなで幸せに生きるのです。とお聴きし、涙が込みあげます。
一部の遠かったパイプオルガンとは違い、イシス、マグダラのマリア、イエス様がいらした時代の風が吹いています。中東の香りや風のなかに古代が息づいて、遥かなる古代であるはずなのに、とても懐かしく感じるのです。懐かしさはときめきにも似て、中東と自分がどんどんひとつになっていくようでとても不思議な気持ちでした。先生がピアノの前に立たれ、演奏はピアノになりました。再びまた意識が顔を出してどうしても緊張状態になってしまいます。困って困って焦れば焦るほど、緊張していくこの状態、どうにもならず、最後には怖い、怖いと云ってしまう自分を、怖い状態のなかで、感じ、考えていました。
本当の自分を知られる怖さがありました。先生を前にし、すべてを知られる怖さがあるのです。すべてをわかっている先生なのに、すべて知られるのを怖いと頭が未だ思っているのです。心の奥の奥を知られるのが怖い、ここがきっと本当の自分だからと感じてなりません。


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フィルハーモニー会場にて 2
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仙台電力ホールにて
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仙台高麗屋にて