全力疾走
京都、「高句麗伝説」を無事に開催させていただき、ありがとうございます。全力疾走で走り抜けた高句麗伝説でした。昨日の琵琶湖では見える図形を瞬時に詩に詠めなかった場所が2回あり、表現すべき時に瞬時に表現せず、躊躇っていると時を失うことをわかり、今日は、100パーセントを目指しました。昨日も出来なかった訳ではないのですが、ひと呼吸遅れた事が身に残りました。今日は、瞬時に表現を目指し、全力疾走となったのです。終盤は本当に走り続けている時と同じに心臓が早く打ち続け、一瞬気を抜くと倒れるのではないかと感じる瞬間がありましたが、留まることは生命取りとわかり、全力疾走で駆け抜けました。
今日は、接する関係者が昨日の琵琶湖での「高句麗伝説」を経験していないような反応や表情であることが耐え難く、体の違和感により苦しみを感じ、たくさん小言を言ってしまいました。ずれている状態もとぼけていることも嘘や偽りが当たり前となり生きている状態が素通しに見え、我慢ができませんでした。真が表現されると世界は変わるのです。今まで見えなかったことも見え、隠していたものもあらわれ、何もかもが素通しとなります。経験したことは表現し活かしていかずしては、先はないと見えます。リハーサル前に収録したビデオ講演会ではかなり怒りもし、気分が悪く困りましたが、リハーサルの時も、先生は生命助ける為に、厳しくお話されておられました。今日は、身に受ける重しが重い日です。先生が生命助ける為に強くおっしゃってくださるその御姿に人間は本当に愚かな生き物になってしまったと心痛みました。私は明らかに身が痛み、ここを抜け出さずしては、本番を迎えられないことと生命をもって感じますので、先生が生命を賭けおっしゃって下さっていることが身に沁みありがたく申し訳ないばかりでした。先生の表現は完全に生命を解放されますので、お祓いであります。私の声もお祓いなので、それをやらせてくれ、と関係者に代わりにおっしゃってくださり、ありがたいばかりです。私は世界を変え、子供達が生きていける世界を作りたく、人生賭け取り組んでいますので、先生の演奏をお聴きし、見える光景、あらわる存在を言葉にすることに全身全霊で取り組めますことは人間であることを生命で経験でき、ありがたいばかりであります。今日身に受けた重しは私が見える図形では「偽りの信用」という表現となる在り方です。この世は偽りの信用関係でお金儲けをしている様が見えます。いよいよ真に世の中は大混乱となり、真を見極めていかずしては彷徨い迷い、先が見えなくなると見えます。
迎賓館2日目のコンサートの時にお話くださった、音は人を騙せるとの事がよくわかる今です。人が感動し涙を流すような音色、メロデイーを作れば、人は騙されるとは甚くわかるのです。先生の演奏は、作り物は全て壊れます。真がわかる音は世界で先生より表現できないということがこの時の迎賓館コンサートではよくわかりました。作られたロマンはいずれ壊れます。壊れるものを追いかけ、全てを失ってでも追いかけ、やがて本当に全てを失い、生命まで失うのです。愚かという表現では済まないことを人間はやってしまうのです。先生のコンサートも「高句麗伝説」も世界を変える為に開催し、先生は生命賭けでしてくださいます。我などどうでもよいことであり、全体が動けば、世界は変わり、たくさんの人が助かります。全体が動く方に皆で力を注いでいければ、早く世界は良くなります。今は皆で取り組みやらねばならぬ時と感じます。
私の衣装まわりのスタッフも今日は、昨日の2倍も早く動いてくれました。一日目は、皆、普段は世俗で生きているので、時間がかかり大変ですが、2日目は、とても動きが早く、効率良く動けます。いだきで生きていればこれだけ能力が上がることを経験します。これからはいだきで生きてこそ、生まれもっての資質も能力も上がりますので、生まれて来た意味が実現できる人生とよくわかります。能力が上がるところで生きていかずに、能力が落ちる所にしがみつくように生きる意味があるのだろうかと、今まで人間の生命を縛り、押さえ込み、能力も閉じ込めてきた社会の仕組みが解体し、よく見えるようになりました。最近は悪魔でなければやれないこととつぶやくことが多くなりました。人間であれば互いの生命を活かし合い、生きていきます。色々なエネルギーを身に受けた京都での「高句麗伝説」でしたが、本番は間髪入れずに瞬時に表現でき、走り抜けることができ、大変ありがたい気持ちで終わりました。ありがとうございます。