自分の中にあるものを外に出す
社会学講座ジェンダーをめぐってとアントレプレヌールサロンに参加させて頂きありがとうございました。
表現するとはどういうことか、考えるとはどういうことかと分からないままの中、先生の本を改めて読ませて頂きました。自分の中にあるものを外に出すことで、身の回りの雑然としたものを捨てて、整えて、節目をつけて次に行きたいです。水が流れず止まっているような体感は気持ち悪く、水が流れているように感じるとfit感あり心地良いです。心地良い状態を維持できるように、自分の中にあるものを外に出すという訓練の方法を知れましたことは本当に有難いです。
講座を受ける前に、まず、ジェンダー、社会学とはそもそもどういう定義、意味なのかとネット検索して調べます。著者と出会い、交流して分かりたく、実際の本から学びたいのですが、まずはネット情報から知りました。ネット情報を鵜呑みにしない前提であっても、知ると言う事は子供が初めて物事を知るような喜びで興味を持ちました。ずっと知りたい、ずっと勉強、ずっと本を読んでいたいと感じ、知る楽しみをもって講座に臨ませて頂きました。講座が始まりますと、今まで知り学んできたことは全部ぶっ壊す、全否定するとおっしゃられる先生のお言葉に、過去の体験や知識の延長では現代社会の問題は解決せず、これからの生き方を示唆して頂きましたように感じました。
表現するとはどういうことかと思い悩んだ末に、先生の本から教えていただきました「考える」とは自分の中にあるものを外に出すことでもあると知りますと、ジェンダーをめぐっての講座中に書き留めましたメモを表現として書く、書き残すと言うよりも、自分がどう感じ、思い、その自分の中にあるものを外に出すことがやること、書くことではないかとの考えに至りました。
例えば、男と女を分けているようではダメと言う示唆を頂きましたことから、自分は男と女を分けている、男の役割、女の役割と言う教えを受け、現在もその教えの中にいますとなりますと、その教えがそもそも間違い、あるいは昔はそれで良かったが今は時代が違うのではと考えてしまいます。そうなりますと教えて頂いてきた社会教育団体が良くないのではないかと考えてしまい、良くないと考えてしまった団体に対して否定的な自分になってしまいますのが実際の思考の動きです。この団体はきっかけ、一例であり、教えて頂いてきたことの反対意見が出てきたときに、そのことを論理的に、学問として自分の考えに落とし込んでいない自分の問題と気づきます。単に対立、二元論として物事を振り分けていくとは、あまりに単純、安易、幼稚と気づきます。自分はこう考えます、と言う意見を堂々と社会の中で、神様の前で言える自分の存在になりたい、これが自分のなりたい、在りたい状態と気づきます。
ジェンダーに戻りますと、男女を分けて役割社会、役割として教育されてきた過去とこれからの未来について学びます。役割と言う文化、考えは、日本には根付いていて自分の中にも根付き、判断基準になり、それが自分を苦しめている可能性もあると感じます。役割に囚われていることが良い運命なら良いですが、解放した方が良い運命なら、その運命、因果律を解いていく方が良いです。私は男性と言う性を受けております。男という役割で生きること、男として生きることの違いをことばとからだで分かりたいです。
振り返りますと、親子の関係では親の役割、子の役割として生きる、夫婦の関係では夫の役割、妻の役割として生きる、会社では社長の役割、従業員の役割として働くというように役割として生きる、働くと間違って受け止め、認識してきたかもしれません。親として生きる、子として生きる、夫として生きる、妻として生きる、社長として働く、従業員として働くことが本来かと、正しい生き方を知りたく努めます。役割といいますと義務感、責任感、全うする、役を演じると思い浮かび、感じます。では役割ではなく、何を基準に、何をもとに生きるのかの答えは愛としますと、体はことばに反応します。
すべての人間は女性から生まれ、女性のままか、男性に変わる。男性は女性のことを分からない。女性が幸せに生きる社会、これが男性の幸せとのお話は、愛を中心にした生き方とからだで感じ反応してきます。こんなにありがたい、真実を教えて頂ける場は他には知りません。女性が幸せに生きられる社会のことを学び体で分からせていただける機会にありがとうございます。