魂の涙
三鷹市公会堂に向かう時は、コンサートホールに向かう時の緊張感も気負いもなくホールへの境もないような不思議な経験でした。そしてコンサートの終わりも始まりもない時間のない世界でした。
高句麗伝説にて高句麗の存在が現れたのと同じく、三鷹の地が全面に現れ畏れ多い神聖な空気が広がりました。そしてピアノの音と同時に先日の太鼓のリズムが響き空気は完全に高句麗でした。自分は見た事がない父が見た景色です。ここは高句麗であり高句麗は今や宇宙の生まれる三段階前と融合していて、三鷹でもある、その場での経験が凄まじくて手も足も腰も力が抜け切ってしまいました。
音に顕る「国津神」に出会えて心の底から嬉しいのです。本来は神様の事が大好きな日本人であることをはっきり分かりました。初めて聞く音の層、広がりのなかでひとびとの中に涙を感じこの尊い場に厳かに居られることに魂は涙していました。美しい御話を観ているようで目が離せない舞台でした。
そして一気に「宇宙の生まれる三段階前」に抱かれたとき、体が無くなって宇宙の塊のような火の玉のような、この世の頭で理解することをやめていました。
音が止まった瞬間に四肢へ広がっていった温もりで漸く体があることを思い出したのです。
どこかで始まらなければ人類が滅びていく本当の男女の愛に、魂、人生、時間、存在全てで懸けていくことを音から学んでいました。現代では殺されることはないとしても、体がどうなっても良いという途轍もない迫力で前へ向かう力が内から生まれていました。どう見えているか意識の世界はどうでも良く、「宇宙の生まれる三段階前」の愛は人間の頭で理解できる範囲のもので当然ないことを経験させていただきました。ある瞬間に辿り着いたいのちの体感があり、三鷹で、、という驚きと共に感謝が溢れました。アンコールも素晴らしく、宇宙の源と繋がる地、生命の豊かさに魂震えます。
無くならなければならないものがあると異常なまでにぐさっと刺さる事が多く、この世での意識や頭が壊れ、考え、今のままではとても到達できなかったと気づくこと、感謝することの連続です。
人間は何と違う姿になっているのか、大変衝撃的なコンサートでした。
動かない空気を変えてくださった後の昨日は、京都のコンサートにお申し込みを頂きました。こんなに清々しいことを継続して表現していきたいと望み、そのようにして行きます。
ありがとうございます。