おおいなるちから
アントレプレヌールサロンの日は、全国からお集まりになるボランテイアの方々とミーテイングをし、スタートします。国創りと生まれた気持ち、言葉を実行していく今、活動も大きく動く時と感じています。世界を変え、真に平和な世界を作りたく生きてきました。大きく生きていきたいといつも望みます。アントレプレヌールサロンは生きる要であり活動の要であります。今日もエンパシーについてお話いただき、いだきは世界最先端の動きであり、真の新しい時代を創造する生き方、仕事、活動のあり方を身につけていける場であることの感謝に溢れます。エンパシーの意味を正しく理解したく、調べた時、相手が体感していることを自分の身をもって体感できる能力と書いてあり思わず笑いが込み上げました。先生程、この能力に長けた御方はおられず、私達も生まれつきの運命を解放され、生命感覚が養われていますので、共感する能力が養われています。シンパシーとの違いもお聞きし、理解できます。シンパシー、同情では、動くことができません。共感から創造が生まれます。世界中、多くの問題が山積していますので、時々、支援の依頼を受けることがありますが、心痛む程同情はしますが、動きは生まれないことの理由がよくわかりました。共感からは動きが生まれます。最近の経済学者の著書に共感経営という言葉が書かれていたとのお話から、やっと共感が創造の元になっていくことを科学的に理解されるようになったとお聞きしました。いだきでは共感できる体、感性が養われますので、一番の元を養ってきたのです。世界に先駆け、このように生き、仕事をしてこれましたことは真にありがたいことと感謝します。共感、受容の一番トップにあるのが純粋とお聞きした時には深く合点がいきました。動機が不純であれば、共感も受容も関係なくなるということもうなづくことであります。人間が人間になれば能力が上がるということは真の希望であります。私は子供の頃から純粋でなくなったら私は私でないと言っていました。今も世界の平和を願い、祈り、実現したい気持ちは純粋な気持ちです。純粋な気持ちには共感する人が現れるとの先生の力強いお言葉にとても勇気づけられました。半端にいるならいない方が良いと、半端な人がいなくなったら、共感する人が現れるとのお話はよくわかります。ボランテイアミーテイングで話していたことです。世界の危機にあり、半端な状態で活動することはできなくなりましたので、本気で半端な人はいなくていいと感じています。人生賭け取り組む人と共に動くことが先を創ると考えます。偽者はいなくなるとも長年よく見てきたことです。何故人にとられるのかとおっしゃった先生のお声が空間中に響き渡りました。人間としどう生きるかよりないのです。真っ当に生き切らねば、生まれてきた意味がない人生となります。今日のお話を理解し、今週のコンサートを経験することの意味の深さも先生のお話からよくわかりました。大変ありがたいことであります。
ロシアが勝てば、専制国家が世界に広がっていく恐れがあることのお話にはいつも不安と恐怖を感じます。それが故に、今日お話いただきました共感領域を広げていくことが必要と甚く感じています。専制国家になったら、先生は戦うとおっしゃいました。自分はどうするかを考え始めました。なったらとは考えたくもなく、ならないように人生賭け共感領域を広げる活動をしたいと考えています。が、なったら戦う覚悟は必要なのだと考え始めました。真っ当に生き切ることを考えれば、答えは自ずとわかります。私が感動して魂揺さぶられてならなかった東側諸国の方々が生命賭け、牢獄にはいることも恐れずに、自由を得る為に戦ってきた生き様を想います。戦わずに、体制に従う選択肢は自分の人生の歴史に残ることはあり得ないとし、戦うことを選んだと皆様おっしゃっていました。どのような状況になっても人間とし真っ当に生きることと今日も先生のお言葉から教えられます。半端な生き方はしている場合ではありません。人生賭け取り組んで参ります。国創りと考えると、内から力が湧いてくるのです。国創りの原点は人間が人間になることです。その為に、いだき講座、コンサートの機会があるのです。どのような時も正確にお伝えし続けて参ります。今日の経験があり、15日、16日の三鷹風のホールにてのコンサートを経験できますことは大変ありがたいです。世界中の人が悲鳴を上げ、人間としての人生を生きれない状況にあることに心痛んでなりません。心だけでなく身まで痛みます。世界を変えたい気持ちは子供の頃から強いです。いだきが根源解決であり、世界の平和を実現する道を作れます。人生賭け取り組むことは当然のことです。
7月1日に「高句麗伝説」を開催します府中の地は武蔵国の国府があった地です。国司を務めていた先祖のことをある本には「日本生まれの高句麗人」と表されているとボランテイアの人から聞きました。思わず笑いが生まれました。私も日本生まれの高句麗人という表現が合っています。台湾、香港、ウイグル、チベット問題をテーマにする番組を見た時、故郷を想う気持ちは人間共通ということを、以前涙ながらに書いたことを思い出したのです。中国共産党の遼寧省知事に宛てたお手紙でした。誰でも恋い慕う故郷には帰りたいと望むことを、魂の中心から突き上げる気持ちが生まれ、号泣しながら言葉に表したのです。魂の中心にある気持ちがつぶされる社会は人間が生きていける社会ではありません。ロシアが勝ったら日本も。。。とお聞きする度に、耐え難い気持ちになり、私にとっての故郷は現在中国にある現実を受け止めるのです。先生に出会えた私は、この現実を諦めることはできません。生きている限り、世界の平和を実現する為に活動します。共感領域を世界に広げていける先生のコンサートという解決の機会があるのです。やらない理由はひとつもありません。人間とし真っ当に生き、能力を上げ、向かい続けます。おおいなる勇気と力を得ることができました尊いアントレプレヌールサロンをありがとうございます。