KEIKO KOMA Webサロン

誇大妄想を超え、要に次ぐ要の中で


祖母の他界の書き込みに、お言葉をいただきました受講生様、スタッフ様方、ありがとうございました。無事仙台、京都のコンサートへ参加出来ました。「いだきファミリー」という言葉があり、自分についてはゴリゴリっと岩の擦れる音のするように一生無縁だと思ってきましたのは、「いだき」という集団の望む姿には自分はなれないと思っていた、また現在もそうであるためです。でも「集団の望む姿」とは何だろうと問います。漠然とした正体のないものに囚われて、論理的にものを考えることが出来ていないのではないかと疑っています。

いだきのコーヒーを売る、とか、いだきの状態で「地元のこと」をやっていないと、どうも自分には「はたらきかけ」のないことを5月の連休くらいに悟りました。いろんな仕事に真摯に取り組み地下水の通るように引き出しや経験を増やしていくことは、あくまでも本音の実現というミッションを通じて生きてくるもので、ただただ闇雲に「変わったことをしたい」と走っていても、全然だめだなとわかりました。

本日、明日は、迎賓館のコンサートをありがとうございます。

天気の良い川沿いに花が揺れる。

手を繋いで歩いているとそれだけでとても幸せで、でも「それだけ」ではいけなくて、世界へ向かう。絶対にコンサートを外すことはしないけど、それだけで良いわけもない・・・。コーヒーを売るならもっと本気で売れよと、天からの代弁のような叱咤激励を受けて、でも、毎月の支払いが、コンサートが・・・。「どうして本業をおろそかにしてまでコンサートへ行くの」と問われて、答えられない。わたしは一番大切な仕事をおろそかにしているのだろうか?少なくとも人からそう見えているんだ。一体全体、私は先生や高麗さんの能力に縋って、何をしようとしているのか。コンサートへ来ると、演奏の超越経験の他にも、一昔前までとは違って会場での温かい心のふれあいがある。先生、高麗さんに加えて、ここの人たちは全然怪しげではないじゃないか。触れてもみないで新興宗教なんて小さいことを言う男には、ハッキリものを言わなくては始まらない。関係は、飲み込まれるのではなくて、活かすのだ。「コンサートへ行っているから、本業も、ほかのことも、あたりまえにこのくらい出来るのよ」と、未来にはサラっと言う。自分の能力の低いために、先生と高麗さんが悪く言われるのは、あってはならないことだ。人類史上初のことをなさっている方々に直面して、目を皿のように見開いて、自分はどういうポジションで生きるのかと必死であがいているときに、決めつけてまるごと馬鹿扱いしてくるなんて、少なくとも全然優しくないし、素敵でもない。まるでしっかりと私の鏡の、上から目線である。

そして書き込みを内面通ずる感覚をもとに出来た時にはとても不思議なことにコーヒーの注文は(これまでの基準からいけば)良くはいるのでした。この感じが、理詰めで積み上げた仕事ではあまり経験出来ないとても拓かれる体感です。こちらを軽やかにもっと表現していけたら、ありのままの連続だよなぁと感じます。「良く」をより大きくしていく。そして家族の支えにより仕事を出来るので、そのように通ずる内面を増やして、生きる場、仕事の場を広げていくことだと考えます。少し売れても当然このくらいでは全く足りなくて、もっともっとこの感じと利益を伸ばしていく、嬉しいことは、どんどん、していくこと。

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