『見てる』から抜け、学ぶ楽しさ
『見てる』状態から抜け、自主的に自律する生き方と感じる状態の時間はただただ楽しく感謝に溢れます。一昨日のボランティアミーティング、ビデオ講演会、アントレプレヌールサロンに参加させて頂き、誠にありがとうございました。
ボランティアミーティングでは、初参加の為本音で挨拶と促して頂きながら、説明言語で話していることに気づきました。また、信じるという言葉に対して信じなくていい、ただ分かればいいとうことや、思うという言葉を話す方は信用できず、自分はこう感じます、自分はこう考えますという言葉を話すことを教えて頂き有難いばかりです。また、見てるという状態は、自分が反対の立場なら嫌だというお話しから、コンサート中や講演会中に受講生側が集中して参加してない状態で、参加者の方の様子を見ていることのご指摘から、はっと気づきました。終わった後にいかがでしたか?とお聞きすることも大変失礼であり、見ている状態は動いていない状態であるとよく分かりました。人を見ない、自分も見ない、ただおおいなる存在とひとつになる、と教えて頂き、自分も見ないとは考えたこともない視点でした。気づきましたので、講座で挙手をする前に見ていた自分から脱却すると決めました。また、人は人の意図に乗るのは嫌、自分の意思で決めたいとの心境もまさにその通りと、自身を改善します。また、高麗さんがお話ししているときに聴講する側が他のことを考えている状態が見えるお話しから、他のことを考えている状態は魔が入っている、とのご指摘も、他のことを考えてしまっている時は抜け出すように努めます。コンサート中も同じで魔が入っているときは戻さないといけないと注意、努めます。
アントレプレヌールサロンでは、毎日毎日生まれ変わること、仕事ではイノベーションに努め、個人の生産性を上げることを教えて頂きました。自身の仕事では空き家問題解決と地方創生を組み合わせ、高齢者と子ども達や様々な方々が共生できるコミュニティを構築する動きに弾みを頂き後押しして頂きました機会に先生とつながる命は自然と燃えていきます。
その日布団に入り、ふと若光王様、と浮かび、着替えそのまま聖天院様に向かいました。途中仮眠し、目覚めに正面に存在あらわす太陽は、新しい太陽と受けとり、いのち煌めく想いです。若光王様の御前では身体に感じるままの気を頂き、からだに充満しました。
東京に戻り、チラシポスティングしながらビデオ講演会会場に向かい到着しましたが、高麗さんのただならぬお身体の状態をお見受けしました。自身もご負担をおかけしていることもあると申し訳ない気持ちです。昨晩は自身も自粛するような状態で身体も気怠いまま夜を過ごし、休みました。自身も霊魂の悲しみを感じることと、同化して悪くなったら元も子もないとそのバランスをどう考えたら良いかと思案し翌朝を迎えました。
今朝は仕切り直し、生き直し、と物事に取り組みます。ある商標登録手続き中なのですが、いったん中止しました。余計なことをしない、捨てて捨てて捨てて、必要なことに向かえる機会となり有難い午前でした。受け身の状態や物事進まない事はその程度であり、命かけてやりたいことでは無いと気づきます。その後に降りてきましたことは、学ぶことは楽しくて楽しくて仕方ないという生き方をしますと合点いきました。受け身か自主性、自律かと自身に選択を問い答えを出せた体験です。自主性、自律していのち生きる今日を過ごします。過ごす場所で食後にエチオピアコーヒーとケーキを頂きながら愛はあるかとふと思い浮かび、届けて下さる方に愛あり美味しく感じありがたいです。逆に素材良くても届けて下さる方に愛無ければ、身体で愛を感じることも出来ないと感じました。自分はポスティングチラシをお届けするときに、愛あるからだの状態かを教えて頂ける気づきとなりました。息をするように継続できることを好み、チラシポスティングをしながら歩くことを楽しみながら届ける先のお宅のご家族様の幸せを祈ります。
本日も明後日府中コンサートチラシのポスティングと応用コースの機会に感謝申し上げ、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。