ありがとうございます。
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自分の中に、しっかり根深く、善悪 良い悪い という 物事のやり方 見方がある事を、様々な状態て、無意識のようにして行動している事に気付き、その中心になっているのが、やっぱり『自分が…』の『が 我』自分にとって…良いか 悪いか だからこれはダメ あれでないと となっていく…とそれこそ因果関係そのものと感じました。
東北の応用コースのお話しで、奇跡は因果を壊す事 という事 どちらが良いとか悪いとか、こうして ああして とやっている中には奇跡はない ということが 上手くは言えないけれど どんなに奇跡と言い聞かせても、奇跡が、起きる空気 感覚のようなものにならない…から奇跡は起きる事はない こうなれば ああなればと思う 思いは因果の事 善悪の判断の上にある限りすぐ出てきてしまうのだと……『いのちにはたらくちから』を追い払い、あちら側の力になるのだと感じました。
意識的にでも『環境 環境を整える』と言葉にするように感じると 自分の中の都合のようなものが消え、やる事は同じでもワチャワチャした感じがなく…『いのちの環境を整える』方向に向くのだと……そうでないとすぐ頭 『自分が が』自分にとっての方向で物事を動かそうとする 日常の事でも 善悪や因果になっていくのだと気づきました。
そう感じると ふっと 『衆妙の門』のメッセージ 体感が浮かび 日常で隠されて 普段は感じる事ができない 奥の奥のさらに奥 因果ではない 日常 物事をやる事で『衆妙の門』につなかる 道理 万物が通り抜けられる……門が開かれる……と感じました。
仙台コンサート 東北の応用コースのお話し まだまだ整理しきれないですが……ありがとうございます。