ふたたび、京都へ
昨日はある企業の会議で一旦東京に戻って、今日また京都へ参りました。昨日の迎賓館コンサートはライブ配信で聴いていて、日本の美しさをずっと感じていました。水、光、風…夜の静寂に月光に照らされる水面が見えたり…生命清められ、すべてを受け容れる存在、先生のお話からも日本が世界の中でも重要なところに位置しているお話を聴き、先生と高麗さんがいらっしゃる日本の今とこれからの役割と自らの為すこととはと考えました。最後の先生の男の人が女性を愛せないことが今、世界で起こっていることの象徴のようにして上の人の状態になっていること伺い、命がかなしみました。
ウクライナとロシアのことは言葉を失ってしまい、なぜなのか…理屈ではこんなことが起こることを受けとめられずの状態でしたが、先生のお話からひとつずつわかっていき、そして今の時の重要性を受けとめ、講座に身を運ぶことにしました。
3月3日の幻のKogryocafeでは、弱点として「受け身でいて手一杯になっている」状態を表わして下さり、優先すべき本音の表現が後手にまわっている状態、しかしながら気持ちを表わして自分の生きる場をつくっていく、大いなる存在共に…ということも表して下さり、受けとめ、新たな気持ちでおります。いだき講座受講で解放されたマイナス因子から‘しみ’となって癖になっているようなものが浮き出ていくのが大きなコンサート前で経験することとも考えます。深く透明感のあるコーヒーに元気になり、スイーツもこの上ない極上の美味しさで人生を考え、コンサート、次に向かう大きなひとときでした。コンサートでは、全てこの日のためにあるようなと感じるほどのスケールと宇宙規模の演奏と感じ、二部でははじめて神の鳥、鳳凰、フェニックスのような大きく美しい存在を感じ、世界の神々が集まり交流し、正義の柱が大きく立つ光景があらわるようであまりに大きな経験でした。2日のいだきはじまりの日のコンサートにも迎賓館へ伺わせて戴き、先生の勝負を賭け、生命賭けて全身全霊、渾身の演奏から真の愛を身体で経験し、涙となり、報いて生きていこうと、世界へ向かう意志が生まれて参ります。
やらねばならぬことに呑み込まれないこと、優先すべきを先にすることをこれからしていきます。手一杯、となっていた状態からでも、いだきのことをお伝えしていく時は、命と命の交流があり、心触れ合うと溶けて新たな芽が生まれ、光を感じられます。プロセス一つ、愛を学び人からおしえられ、コンサートへ身をを運んでいただけること、いだき講座にお繋ぎすることと向かってまいります。