KEIKO KOMA Webサロン

真の人間に成る時


 3日の京都での応用コースは、私にとっては昨年のお正月以来でしたのでとても楽しみにして伺いました。最初はぎこちない感じで座っていて、先生のお話も、聞こうとする意識が自分の中で異物に感じられて居心地が悪かったのですが、気がつくともの凄いエネルギー、光が先生と私達の間を循環していて、その交流と広がりのど真ん中にただ身を置かせて頂いている喜び、楽しさ、熱気・・そして深い安堵にいだかれていました。それはまさに2日のロームシアターでのコンサートで経験した「愛のフィールド」でした。
 先生のお話の只中に居ますと、時間がありません。この世で生きては決して知ることも分かることも無い、未知の宇宙が次々と展開されて、それが互いに交わりまた別の宇宙が生まれ、更にそれがまた別の次元に展開されて・・と、無限の宇宙の深みと広がりのど真ん中に私達まるごと引き上げて頂いていることが分かります。どこから始まってどこで終わるとか、そして・・とか、次は・・とか、この世の時間の中での時系列とか因果関係の枠の中にがっちり嵌まった話しとか講話とは全く掠りもしない、全く別次元の先生のお話であり、先生というご存在から生まれる言葉であると、このたび驚きを持って発見するのです。だから夢中で引き込まれるし、我を忘れるし、先生と自分の境界も無くなるし、とても楽しく幸せであり深い安堵に満たされるのだと分かります。
 以前どの講座であったか覚えていないのですが、ロシア文学の時間と、それに対して日本の特に現代の文学で使われている言葉と時間、というお話が今でもとても気になっています。もしかしてそれは、今回の応用コースで経験した、先生から生まれる言葉、始まりも終わりもない宇宙の無限の展開と創成の只中で生まれ続ける言葉の数々と繋がっていることではないでしょうか?と考えます。さらに、先生のお話、先生から生まれる言葉を、数え切れない位お聞きして経験している私達は、その経験を一人一人が自分の言葉で表現し続けることで、今の日本の言葉は本来の日本の言葉に新しく生まれ変わり、真の日本は言葉から蘇るのでは・・と、とてつもない夢と希望までも見出すのです。
 先生が、一見繰り返しお話をされているように思える話しであっても、その場その場でお聞きする自分は毎回新しいので、お話ごとに生命は実は新しい発見をしています。生命の深奥で目覚めた新しい芽に気づきそれを新たに育てていく機会を頂けるのです。今回お話くださった、先生が探求をされている最中に出会われ、お世話になられた先生方のお話で、「・・だけど愛は無かったんだよ(違っていましたら申し訳ございません)」と仰ったことが心にあり続けます。未だ先生が探求の最中で、いだきを始めて下さっていない時代に、それでも先生を受け容れ、支え、助けて下さった先生方のお心が、自分の心に滲みるのです。自分が生きた年数分ご恩返しをするということが、しなければならない、という表現でなく、自らの生命は自ずとそのように働いていることをいま、心身まるごとで分かる時です。
 京都でのあまりに尊かった2日間は、この世の時間感覚ではあっという間でありながら、同時に始まりも終わりも無い、無限の宇宙空間、まさに「愛のフィールド」のど真ん中で生きる経験であり、それは真の人間の生きる場に導いて頂いたと感じられてなりません。今年は真に人間に成っていく時でありそのように生きる一年とします。真剣勝負であると同時に、皆様との交流を楽しみ、喜び、活気にあふれながら、周囲の方達から日本そして世界にまでお役に立てる人生を歩んでまいります。
 まことに有り難うございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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