KEIKO KOMA Webサロン

いだき宮殿


コンサートが終わるとホワイトクリスマスであることがうれしく、自然の生命、存在する全てひとつとなり、「Merry Christmas」とお祝いしている美しい夜です。大変素晴らしい今年最後のいだきしん先生のコンサートの経験でした。

第一部「神は愛」

「神はあきらかに我々をこえている存在だとすれば、「神は愛」なのです。人と人が愛し合う愛はおのおのの存在を互いにありのままに受け容れ、生命交流し個々の生命は飛躍上昇します。現代社会はどうしても関係が希薄になりがちです。コロナ禍にある現状ではなおさらです。注意を喚起するのは当然としてもどう見ても関係性を無視した上で神でないにもかかわらず、上から目線で注意を喚起しているように見えるのは我々でしょうか。今少しあたたかさぐらいは感じたいものです。我々をこえた、あえて神といいますが、ますます豊かに愛を注いでくれています。」

神の愛ではなく、神は愛というメッセージを心に聴かせていただきました。神を感じました。神と出会いました。神はすべての生命と共に在り、生命を支えてくださっていますが、人間が堕落しているとしか見えない状態で生きています。メッセージに書かれていますことが心に浮かび、様々なことを考えました。私も今まではテレビを見ることはない生活でしたが、コロナ禍になり、本当はどうであるかをわかりたくニュース以外にも特集番組を見るようになり、滅び行く人間の在り方を甚く身に染み感じるようになりました。神の如くに振る舞う人間とは何なのかとは常に考えることであります。神の如くに物を言う人の話を聞いているうちに、自分で考えることもできなくなる国民の在り方も人間ではなくなっています。ニュースに取り上げられる事件や事故の真相が何かを知りたく、追いかけても、真相はわかることはなく、起こる現象ばかりを見、自分がど真ん中に入ることもなく、人がやっていることを見、批判したり感想を言っている人は人間とは言わないのだと演奏を聴きながら、一目瞭然と見えるのです。ピアノの音はずっと神を表現していただいたと感じています。私が見える図形は神と表現させていただくよりない図形でした。悲しみも人間の悲しみとは違うことはわかっても言葉には表現できません。が、先生の演奏そのものが全てを表してくださっています。神は愛というタイトルそのものの図形に畏れ入ります。堕落し人間ではなくなった人間でも神はずっと共に在ります。神は愛とわかったなら、生命のはたらき、自然の法則に反する生き方は即刻止めるべしと考えます。私は、神と共に生き、生まれる気持ち、本音を表現し続け、人間としての人生を生きていくと心に決めました。

第2部「Merry Christmas  銀河鉄道より」

「ご存じのようにMerry Christmasの「Merry」は、「楽しむ」という意味です。銀河鉄道は楽しむためのおみやげをたくさん積んでもどって参りました。宇宙では目に見えない粒子達が出会い、出会った瞬間にピカッと光り、さらに次々と輝き、目に見えない小さな粒子ですが、時間にして何光年、何万光年の先にある粒子とも一瞬にして出会い輝きます。我々が普段使っている「時間」という概念がないのです。我々自身も細胞とか分子をさらに細かくしていくと数え切れない無数の粒子です。残念ながら、見ることも感じ取ることもできません。しかし、今この瞬間に宇宙遙か彼方の銀河の粒子と関係をつくっていきます。こういうとあまりにも漠然としているので、地球にいる皆さんに関係の豊かさをわかっていただく為にたくさんのおみやげをお持ちしました。ささやかながら、生涯消えることのない、次々と出会いを繰り返す関係へと導くおみやげです。早ければ明日の早朝からそのおみやげは実体としてあらわれるでしょう。」

メッセージを読ませていただくだけで、心ときめき、未知なる世界へ向かう躍動感が湧いてきます。粒子、何光年、何万光年という表現にわくわくし、「今この瞬間に宇宙遙か彼方の銀河の粒子と関係をつくっていきます」とはなんてうれしいことでしょうか。そして生涯消えることのない、次々と出会いを繰り返す関係へと導くおみやげをお持ちくださったとは、胸はふくらみ、希望あふれます。それもはやければ明日の早朝からあ実体としあらわれるとは。。。とても心がときめくメッセージです。先生が表現されることは言葉だけではなく、経験までさせていただけますので、こんな素晴らしい人生はないと演奏が始まる前から感謝に震えました。銀河の流れが見え、光の河がたくさん流れている空間に身を置きました。ここは宇宙と感じました。心の中で「宇宙への移住、成功」とつぶやいていました。宇宙旅行へ行かずとも、先生のコンサートでは宇宙へ移住したかのような体感があります。この世に生きながらも、宇宙で生きるように生きていけばよいと感じます。一部の時からすっかり堕落した人間の終わりゆく生き方を見、この世で生きていると堕落しているとはっきりと見え、堕落世界に漬かっている心身から、なんとしても抜け出すことを考えました。宇宙への移住が成功したなら、この世で生きながらもこの生命は宇宙空間で生きているのです。抜け出せます。宇宙で生きる生命から生まれる本音を表現することが一歩動くことと見え、自律した人間が何をするかによって世界の未来は決まると見えます。自律した人間がある何かを表現できれば、世界は一気に変わると見えます。私は堕落し終わりゆく生き方はしたくありません。自律し、世界が動く一歩を踏み出したいと必死で考えました。最も美しい生命の光が見え、光を濁すことなく、最も美しい光となり生きることがはじまりの一歩と教えられます。とてつもない美しい世界が見えました。いだき宮殿とすぐにわかりました。いだき宮殿は真に存在することに畏れ入ります。とても感動しました。そしてそこには、なんと私が居る場所が作られているのです。ピンクの光がそのまま受容され、真の資質が尊重され、ピンクの光がより透明度を増し美しく輝き生きる場所があるのです。高句麗の建国の精神は天を地に実現するとは講演会の度にお話させていただいていることですが、天の世界では一人一人の真、資質がそのまま受容され、尊ばれるいだき宮殿が作られています。いだき宮殿を地上に実現するこれからと受け止め、言いようのない喜びが湧き出づります。生命ある今も死んだ後もいだき宮殿で生きていくとわかり、胸の内は打ち震え、これ以上ない感動に震えました。3歳の時、「自分は何故生まれ、どう生きていくのか、死んだら何処へ行くのか」をわかりたく生き始めました。死んでもいだき宮殿で生きるとわかった今、生死を超え、永遠に存在することを経験させていただきました。究極の答えを得ました。生きている今もここが生きる場であり、死んでもここが生きる場と心の中で何度も言いながら、感謝と感動に胸の内はむせび泣いていました。生きていてこんな時が来るとは。。。ありがとうございます。私には明日の早朝に実体としあらわる銀河鉄道からのお土産が今ここにあらわれたと感謝で一杯でした。

アンコールの美しいアリランをお聴きしている時は至福の喜びに包まれました。美しい演奏は圧巻でした。人類史が変わる歴史の壮大なドラマを見ているような気持ちとなり、そのドラマの主人公は自分自身なのです。病んだ終わりゆく世界を変えていくのは自律した一人一人であり、自分自身であります。私が自律し、何を表現するか、何をするかで世界は変わるのだということがよく見えました。自律した一人一人が世界を変えていくのです。これほどやりがいのある人生はありません。最高に感動し幸せに満ち、感謝一杯で今年最後のコンサートが終わりました。

皆様をお見送りさせていただいている時、仙台の講演会から仙台コンサート、そして今日の盛岡コンサートを経験された男性がいだき講座のお申し込み書を私にお渡しくださいました。僕にはここよりないとおっしゃいました。私はコンサートで生きている今も死んでもここが生きる場とは生命をもって経験させていただきましたので、「ここよりないのです、ここは全ての答えがあります」と即座に申し上げることができました。私には最高のクリスマスプレゼントをいただき、心よりありがとうございます。人の生命が助かり、先祖代々の魂までも救済される、いだき講座を受講いただくことが生命の一番の喜びです。

雪が降り、素敵なクリスマスイヴとなりました。時間のない世界を経験させていただきましたので、イエスキリストがお生まれになった2000年前という時間についても考える機会となりました。時間を超え考える尊い機会となり、イエスキリストの存在を感じることができました。亡き母や先生の奥様の存在もいだき宮殿を見てからはよりわかることができました、いだき宮殿では光により関係が生まれています。この世の関係は、本来はもっと違う在り方があるのでしょうと考えますが、時間に縛られ生きる関係となり、とても不自由で互いを縛るような関係になっていることも見えます。光によりつながっている関係は可能性と希望に満ちています。いだき講座を経験した私たちは真の自分で生きていけます。真の自分は光です。時間も超えています。ここで生きていくことが真の人間の真の人生です。はじまりの時を迎えられ、心よりありがとうございます。

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