KEIKO KOMA Webサロン

おおいなる存在に受け容れられ


皆既月食の今日、府中にてコンサートを経験させていただきました。今日も昨日のコンサートの経験がより深まるメッセージに、生きる意味が深まります。

第一部「自分を知ることを育む」

「おおいなるものへの畏敬の念に支えられた壮大な視野、自由な精神をもとにして自分をしっかり知ることができます。限られた人生、できるだけ何ものにもとらわれず、小さいことも逃さず、同時に壮大な視野やおおいなる存在との関わりの中で、お一人お一人存在することを望みます。人と人の関係すらどんどん薄れ、一見便利なような情報を得る、あるいは交換する便利な機器があります。そのことによって、どんどん関係は表面的になり、その都度、自己中心的に反応はしますが、自分をよりよく知り、活かすということからは外れがちです。何方も幸せに生きるということに異存はないと思います。自分を知る。おおいなる存在に抱かれるようにして知る。恩恵に感謝。」

すべてに納得しますメッセージの意味を受け止め、メッセージに書かれたことを心にしっかりと自分を知ることを考えながら、演奏を聴かせていただきました。思えば、ずっとある感覚ですが、最近よく考えるようになりましたことが浮き彫りとなりました。胸に窪みが見えるのです。実際に見えているだけではなく、胸に穴が空いているように感じ、寂しさや虚しさを感じます。穴が何かをわかりたく、人の反応から感じることか、関係から感じることか、周りを見たり、人を見、考えました。周りを見ると、益々虚しくなってきます。自分にはやりたいことがありますが、やりきれないことをいつも考え、なんとかしようとしていますが、このような時も胸に穴があいている感覚があります。やり切っていく充足感が足りないと感じている時です。おおいなる存在に受け容れていただくより救われないと感じ、おおいなる存在に受け容れていただけるようにと願い、求め続けても、受け容れていただけるような自分ではなく、弾かれていくように見えるのです。願ったり、求めているような状態ではおおいなる存在に受け容れていただけないことを思い知りました。余計なものが多く、飛翔するには重すぎると見えると同時に自覚します。パイプオルガンのある音で、おおいなる存在と一体となりました。メッセージのお言葉「おおいなる存在に抱かれるようにして知る」が心に浮かびます。空いた胸の穴は、すでになく空間とひとつである生命、自分であることが心地よいばかりで、生きていける状態となっています。おおいなる存在、聖なる存在とつながらない時は、寂しく、虚しいです。おおいなる存在と切断されたこの世では、余計なことばかりに気を遣い、気を取られ、胸が窪んでしまうと見えるようにしわかりました。人間はおおいなる存在とひとつに生きる存在と生命をもってわかります。

第2部「様々な教訓の中にあって」

「教訓といえば、一つや二つ、何方も思い浮かべることがあるでしょう。なかなか前に進めない時など、教訓探しに躍起になる方もいらっしゃいます。何かひとつ見つけては、あるいは思い出しては、一晩ぐらいは眠りにつけるかもしれません。しかし、朝起きて何もなかったことに気がつくでしょう。そもそも自分を知る教訓などあるでしょうか。困った時の神頼みのような教訓を求めても徒労です。自分を知り、自分を活かして何らかの目標を実行、実現するには、教訓はひとつ残らず、排除し忘れてしまうことです。自分を知り、自分の言葉で表現し、即実行することです。いきいきした言葉は「いのちのちから」です。」

2部のメッセージもご尤もです、とうなずくよりありません。自分を知り、自分の言葉で表現し、即実行することです、とはやりがいを感じ、力が湧いてきます。自分の言葉で表現し、実行するなら自分でできることが大変ありがたいです。私は先生に出会ってからはそのように生きてきたので、今も生きていれるのです。2部では、この世を見て生きていると頭が全くはたらかないことを思い知りました。生きている次元がこの世では私の頭は全く動いていないとはっきりと自覚しました。日常の大半が頭がはたらかずに生きてきたのかと唖然としました。先生の音を必死でお聴きしていると、おおいなる存在とひとつになれます。すると次から次へと色々と考えが浮かび、楽しくなるのです。どんどん広がり、上昇するエネルギーに満ちています。おおいなる存在と一つに生きることが生きることであり、そうでない時は息はしていても、生きていることにはならず、ストップしていることを今日程自覚できたことはありません。先生の音が体に入ってこない状態の時は何をしても変わらずに同じ状態であるのです。生きて死んでいるような状態では限りある人生の時間が活かされず、本当に勿体ないことをしたと後悔もしました。が、生きているということは、全てはプラスに転じることを先生にお会いしてからの人生で経験してきましたので、あるがままを認め、今日のメッセージを受け、自分の言葉で表現し、即実行していけますことが真にありがたいことと感謝します。アンコールでのロマンあふれる愛の演奏はただただ感動し、感涙に咽ぶ魂と共に感動の極みを経験しました。が、この時も、突然後悔が襲ってきたことには驚きました。意味はわかりませんので、感じたままを書かせていただくと、昨夜、突然亡き母を思い、号泣しました。それは母にもっと尽くしてあげればよかったのに、できなかった後悔が襲ってきたのです。先生からは尽くして尽くして尽くし切ったんだからとおっしゃっていただいたので、そのお言葉をそのまま受け止めるようにし、母の死後、後悔から抜け出せたのです。それまでは号泣するばかりでした。長崎でのコンサート開催にあたり、動員活動で長崎に行った時、お掃除の行き届かないトイレに母が入っている夢を見、私はお母さん、ごめんね、と号泣してしまい、それこそ枕元が涙に濡れ、目覚めました。私が気づいてお掃除をしてあげればよかったと、気づけなかった自分を悔いました。それからは後悔しないようにと決め、気づいたら即実行し、悔いは一切残すことなくと努めはたらくようになりましたが、疲労困憊となり、心もぼろぼろと表現せざるを得ない状態となりました。それこそ今日のメッセージに書かれてありました教訓であったのなら、自分を責めながら追いやっていきますので、大変疲れ果てていくのでした。書いているうちにやはりメッセージに書かれていることが解放され、自分の言葉で表現し即実行できる心身と養っていただいたことに気づき、涙あふれます。アンコールの最後で感動の極みを経験している時に突然母を思い、涙込み上げてしまい、終演となりました。おおいなる存在と一体となり生きていかねば、人間としての人生は生きていけないと生命染みわかりました。今日も心の底から世界中の人と共に経験したいと望みました。気持ちのままに動き、道を作っていくことを考えました。本当はたくさんの人と共に経験したくてたまりません。大きなコンサートホールが満席となり、皆で生命一つ、愛を経験できる時、私は真に満たされると感じています。自分では常におおいなる存在とひとつで生きることを目指し生きているつもりでしたが、今日のコンサートで、そうでない時の状態もはっきりと自覚できましたので、今日からは新たにおおいなる存在と一つとなり生きていきます。外へ出ると美しい月夜でした。ありがとうございます。

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