KEIKO KOMA Webサロン

全てにピッタリで心地よい


とても心地よく、全てに「フィット」する三鷹でのコンサートの経験でした。ありがとうございます。

第一部「自分を知る」

「標準化にはまらない人は自分をよく知っています。他人のこと、まわりのこと、社会制度のことなどを受け身にとらえていると「自分を知っている自分」を見失います。そもそも自分を知らないということがあるのでしょうか。自分のことを自分が知らずに誰が自分のことを知るのでしょう。実は、自分のことを最も知っているのは、自分なのです。自分のことを自分でしっかり知ることによって、何事につけ選択肢は自分にあります。自分のことを知らなければ、苦しみと苦痛以外の何ものでもないでしょう。自分のことを知らなくても苦しみとか苦痛がないとすれば、よほど巧妙に何かにしかけられていると判断してよいでしょう。「自分を知る」というちからを活かしてください。」

メッセージを読ませていただき、確かに自分を知らないということがあるのでしょうかと今更ながらうなずきます。私は自分の中に何人もの人がいると感じ、真の自分をわかりたいと強く望む気持ちが子供の時からありました。自分を知るということは生きることそのものと感じています。楽しみにしていた第一音です。それは体の中でその音を要求していることを感じ、楽しみに待っていました。第一音は、要求していたところに見事にフィットし、心が満たされました。その後もずっとフィットし続け、何もかもがピッタリと感じたのです。何とピッタリかといえば、自分にピッタリな音でした。生まれた時からのこと、空気、更に自分が生まれる前からのことまでも表していただいている音は生命の内で全てが合点がいくのです。本当にピッタリと驚喜していました。そして今日のメッセージを読ませていただいた時に感じたことは私は本当は子供の頃から自分を知っていたということです。先生に出会ってから、何かをしはじめ、ふと感じる瞬間にわかることは、生命の内ではこの時を知っていたとわかるのです。子供の頃に見ていた未来だと感じるのです。エチオピアにて日本でいえば通産省と同じ機能を持つ省に行った時、木造の建物の窓は開け放たれていました。私はふと窓の外に目を向けると、アフリカ特有の濃く強い木々が心に飛び込んできました。瞬間、子供の頃にこの光景を見ていたことが蘇りました。先生のコンサートが開催されたメスケル広場にて、エチオピア一の祭りでありますメスケル祭りに参加した時、青く高い空を見上げました。この空を見ることを子供の頃に知っていたと確かに感じる感覚に大変驚きました。そして先生の「天命」コンサート本番、第一音が体に入り、「私は生まれる前から天命を知っていた」と言葉が生まれたのです。このようなことは先生にお会いしてからよく経験してきました。私は本当は人間は自分のことをわかり、どう生きるかもわかる存在なのだと考えるようになりました。ところが、社会環境の中で、生まれた本音は押し殺し、次第に忘れるように生きてしまい、本当の自分をわかることもなく、活かすこともなく生きるようになってしまっているのです。が、生命の内から生まれた生命の芽であります本音や気持ち、感じることは、どんなに押し殺しても忘れても生命の内にはあり続けていることを経験しています。先生に出会ってからは、コンサートやある場面にて突然引き出されるのです。私は、先生にお会いしていく中で本当は子供の頃から自分のことは知っていたと感じるようになりました。いつも生命の奥深くに知っていたことを感じるのです。今日のコンサートでは生命の奥深くにある自分がそのまま表現されたように感じ、全てピッタリと喜び、心が満たされるばかりでした。

第2部は「Fit」

「自分のことを知ることなくして、ぴったり合うということはどのようにしてわかるのでしょう。寒い季節になり、手袋を選ぶことひとつにしても、ぴったりあっているものこそ、身につけて暖かく、手袋をしていることを忘れるほどほかほかして素晴らしい手袋です。足に靴を合わせるのではなくて靴に足をあわせていたらどうなるか言うまでもないでしょう。このような例えでも、自分のことを自分で知っているからこそわかるのです。すきなことをして生きるのも同様で、小さなすきなことを幾つもしはじめるとさらに大きなすきなことがわかり、自分のことを知ることが尊くなり、他者は大事な存在になります。「Fit」する内面をお感じ下さい。」

長い間カッコイイ靴に足を合わせてきて、昨年からひどいことになりました。人が作った価値に自分をはめ込むことなどは、靴でも物でも衣類でもしてはいけないことなのだと、メッセージを読ませていただき、今は当たり前と感じていますが、少し前までは、ブランドの物に自分をはめ込んできたと気づき苦笑しました。自分を知り、自分にフィットするものを身につける時、内面と空間はひとつとなり自由を感じます。例えばマーブリングの衣類でも自分にピッタリなものであれば、自分の身がないくらいに軽く感じ、内と外がひとつなので、自由に振る舞えるのです。表現も自由になり、元気が出てきます。今日のメッセージを読ませていただき、演奏をお聴きし、経験するさまざまなことから、幸せを感じます、これからは自分にフィットするものを身につけ、やっていけばいいと考えると、うれしくなります。先日、ある物件を見に行った時、吹く風はニューヨークの5番街を歩いた時のようでした。こんな場所で世界ブランドを作り、ショールームを構えたら、次はニューヨークの5番街へ向かうと見えたことを思い出し、ニューヨークのカーネギーホールで先生のコンサートを開催しているように感じ、とても心がときめきました。随分前にカーネギーホールで開催した時のことまでもリアルに思い出しました。世界中で先生のコンサートを開催している光景が見え、とても楽しく幸せでした。途中は、畏れ多い存在が総出となり、畏れを感じました。今日は、ニュースで奈良にて5世紀の遺跡が発掘され、高麗人のことが書かれていました。また、休憩時に受講生の方から新聞記事をいただきました。高麗家が長年檀家を勤めています深大寺で205年ぶりに秘仏が公開されるという記事でした。コロナ禍の終息を願い公開するとのことですが、その秘仏のことを「小さいながらも眼光鋭く、魔物以上に恐ろしいお姿で疫病を退治してくれる。そんな期待を抱いた」と書かれてありました。魔物以上に恐ろしいとの表現を私もさせていただきたくなる存在が演奏中にはっきりと見えたのです。大地に埋もれていた仏様や仏像のようなものがたくさん見えました。「高句麗伝説」にてアナログシンセサイザーの音を聴いた時に見える魔物や、獣、何者かわからない生き物というよりなく表現させていただいていますが、総出で現れていました。人間が認識できなくても、大地にも空間にもたくさんのはたらきがあり生命守られ、活かされていることに頭が垂れ、深く感謝しました。昔は魔物よりも恐ろしいと表現される存在が存在していたのだと仏像を見、知ることができました。先生のコンサートや高句麗伝説にて見える存在は真であったのだとわかり、とても勇気づけられます。全ての存在に支えられ生きる人間です。真の自分を活かす状況は作られています。これからが実現の時と感じ、とてもありがたいです。ありがとうございます。

 

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