明るい未来
一つ目標・目的を決めたところだったので、第一部のアナウンスには狂喜したい気持ちで両手を広げて(実際は背筋を伸ばして椅子に座って)しるしを、演奏のすべてを受け止めたい気持ちでした。
内面豊かなこと・・・と目を閉じると緑の龍が現れて、私の体を下から通って頭から上へ抜けていきました。体内には龍が通った道筋に金粉が蒔かれていて、体内をキラキラに輝かせ、美しい輝きは先生のピアノから次々と生み出されては消えていく。私はその演奏の一つ一つを切り抜いて固めて手の内に保存したいと、そんな欲に問われてしまいました。でもその宝の音の一つ一つは一瞬だけ手の中で固まっても次の瞬間は溶けて無くなってしまう。わび、さびを思い出す。一つたりとも手の中で固定し止まっている美は存在しない。
固く結ばれた紐が解かれていく。二部に入りピアノが進むに連れてどんどんほぐれていき、人ではない、会場の天井や椅子の「パキ」とか「ミシ」とかいう謎の音もしなくなる。あれは一体何なんでしょう。最後に目標、目的をはっきりとさせた、それが的にはまる未来は明るいと感じました。手拍子とともに未来のスロープを上がっていく先には現代の社会からは想像しづらい明るい未来が見えました。新しい先生の音はより網の目が細かく、その網の目をすり抜けてしまったとしても更にその下に膜がはっていて、ふわりとキャッチしてくださると感じます。
昨日は音をたてる人たちに寛容な私だったけれど、今日は顔を触る音、手をこする音など些細な音に、額に血管を浮かせて反応する。昨日寛容だったのは、自分の中身も俗世の分量が増えていたからだろうか。おおらかとも呼べる昨日の自分と、今日のほんの少しの音にも反応する神経を尖らせた自分と、世界平和を基準にしたら、どちらが貢献できるだろうか。恐らく私がどちらであっても変わらない。では、どちらで生きたいか、と内面に問うと、後者であることを即答する。先生の音に、ところてんのようにつるりとしたいのちが濾されて押し出されていく。
お金があったり成功していても疎外に苦しむ方を見ました。お金があっても使いどころがわからなかったり、成功していても魂と合っていないとどんなにはたから見たら良い状況でも本当に苦しむんだと、以前先生がアントレでお金のある人もない人も変わりなくなってきているというお話も思い出しました。