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なぜ生きるのか


なぜより良く生きるのか?なぜ主体的に生きるのか?病院でもらう皮膚の薬や、過ごしやすい服、道具、、、気持ちが良くなる、自分を取り戻せる工夫を常にする、そのためにお金を使う。たったこれだけのことも、皮膚が治らない不快感を『不快』と感じる感性がなかったり、あっても常態化していたり、過ごしやすい服や使いやすい道具は何かを考えることができなかったり、出来ても自分にあてがう優しさがなかったりすると、工夫を出来ないことになる。案外そんな身近なところで、内面豊かに生きる道は停滞していく。好きなものを選ぶこと、より良く工夫することに罪悪感すらあればなおさら考えることもできない。そんな傾向における『死にゆく頭』が終わって、先を考えられるようになったり、幸せが見えるようになったりしていて、身近なところから強くなっていく悦び香ります。終わらない生、死なないことを考える、内容を追っていくこと、これまでしてきたことと真逆です。将棋に興味なかったのですがお話をお聞きする中でもっとしっかり人を見てみようと感じました。

黒歴史(自分の失敗や恥ずかしい記憶により振り返ることが困難な、なかったことにしたい過去を意味するスラング)とする意識により忘れていた好きだったことがよみがえってきます。最新機種などでは全くないのですが写真を好きだったのを思い出しカメラを仕入れました。バンドをやっていた頃に良く歌えるように毎回工夫していた喜びとかも思い出します。好きなことをするのは良いのですが、私には昔、人のことを大切にしたり、人のために活動するという人間としての本性に厚い蓋が塞がったままで、それが疎外を生んでいきました。大切な学びを得た今とこれからが、『なぜ生きるのか』、『なぜより良く生きようとするのか』の答えを出していけると感じます。

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高句麗伝説
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仙台にて
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青葉神社の宮司様にちょうどいいタイミングでご案内出来ました