KEIKO KOMA Webサロン

評価の癖


応用コース、そして演奏をありがとうございました。
演奏、超気持ちよかったです。今までよりさらに身体の芯に染み込み、座っている席は中段ほどでしたが、あたかもすぐ目の前で弾いてくださっているように身近に感じられることに驚きました。

いちいち評価しようとする、されようとする頭の癖、答案用紙を採点する採点官じゃない、などご指摘、お言葉頂きました。
直前よりそういった癖が、相手も自分もいい気はしないこと、時間の無駄であろうことはなんとなくはわかりつつも、やはり先生には褒められたいとの頭を見透かされたようで今はなんとも言いづらい、後ろめたい?気持ちです。
たしかに考えると、より良い方法なりを編み出してゆく過程でそうした癖をいちいち披露しているとただただ時間の浪費にしかならず、そんな暇があるのなら先に向けてちゃっちゃとやってしまった方が速いので、その通りではあるのですが。でも別に女性を口説こうとしているわけじゃないのでそこだけ不満です。
が、壁は壁だったので、そこはありがたく、実際はいちいち評価したりされないと何にもできないわけじゃないし、たしかに今の自分の有り様、それが外れた状態は気持ちいいものであるのだから。

なので前に進み、ホームページから余計な表現を削る。頂戴した「人間とはどういう生き物であるかを身をもって売りに行く。人間とは生命の働きであり、今よりももっと幸せになれる」「大病すれば、年齢を重ねれば、、、本当はいいものがわかるはず。ところが(常識は?)逆になってしまっている」とは主軸であると感じたので、新たに書き上げる。

それにしても行けばわかる、経験すれば必要なものがわかる生命になっているとは心強いし、これからが益々楽しみだ。
言葉もその必要なものの一部だとは今まで思っておらず、どんな言葉が薬となるのか、それをどう実現してゆくのか考えると生命にとってサボっていることがまだ結構あることがわかり、やるべきことも見えてくる。
全力が出せる環境にいないことはもどかしいし、これから全力が出せたら気持ちいいだろうな。

高麗さんの投稿にある、「先生を前にし、自分の内が映し出され、原因を辿れば生命の要求が隠れているのです。周りがどうかでも誰かがやっている訳でもなく、全ては自分の内の現れであると再び気づいたのです」
生命の要求。果たしてどんなものなのだろう。
KEIKO KOMA Webサロン
マドリード ギャラリー展示会場より
KEIKO KOMA Webサロン
美しい光景
KEIKO KOMA Webサロン
高麗恵子ギャラリーにて