「あ」「い」無限
6月20回のコンサートが全て無事に終わり、最後の今日のコンサートは感極まる感動で終わり、真に感無量であります。共に経験できましたことは人生の宝であり、生きる力であります。心より感謝申し上げます。
今日のコンサートでの経験を表現させていただきます。東北センターでの展示会中からうごめくエネルギーが体に痛く、コンサート会場に着いた時は絶不調の体調でした。こんな体ではこの先やれるのだろうかと気弱になることも申し訳なく、痛む体でコンサートを迎えました。20回の最後でもあります。全ての結集となる今日のコンサートが予想外の体調となり、情けなくもありました。が、全て起こる巡りはおおいなるはたらきかけであります。生きる意味、真をわかるよりないのです。コンサートメッセージタイトルも極め付けであります。「2021 6.30 盛岡コンサート」です。今日のコンサートがそのままタイトルとなっているのです。すごいと感じました。
「世界戦略の第一歩です。世界といっても海外と仕事などで取引、交流するということだけに限らず、例えば、誰もが2、3日先の未来を考えて世界の中の日本、日本の中の盛岡など、というとらえ方をしないと無駄が多く、余計な心配も多くなり、幸せな生活など自分で判断、決断して創れません。盛岡を自分の住んでいるところと置き換えていただければよいのですが。今まで以上に世界に向けて世界中の人々が内面豊かに愛に満ちて幸せに生きることを共有することが何にも増して必要なことです。」
身が痛んでいましたので、身に刺さるエネルギーを綺麗に浄めてくださるピアノの音のやさしいことが身にしみました。内も表面的な外側に反応する神経も、体も光に包まれ、癒されていきます。やさしいおおらかな存在を感じ、不安や心配になる心がやすらぎます。ふと、この存在は先生のコンサートにて出会う日本の神と気づき、感謝に震えます。ずっと寄り添い続けてくださる愛に深く感謝し、平穏な心を取り戻し、ここが生きる場と身にしみます。
第2部は、「雄々しい銀河鉄道」
「8年前の一月に盛岡の特設の停車場を出発した銀河鉄道です。雪の中、ゴム長靴を履いたお客様をお乗せして宇宙に飛び立つように出発しました。何度も宇宙から戻ってき、様々な宇宙の旅の模様を伝えてくれました。蒸気機関車はいつのまにか形を変えまた何の戸惑いもなく、未知なる宇宙へ旅立ち、今回はとても不思議な長ーい数えきれないほどの編成の列車となり戻ってきたのは昨日のことです。本日は抜けるような青空のもとに最初に出発した停車場にて雄々しくも美しく装いを新たにして世界の各地に向かうために沢山の生命を積み込みました。何よりも美しい精神、愛満ちる人々をお乗せして出発します。探検や冒険ではありません。新たに実現する幸せを各地にお届けするのです。乗車定員はありません。」
8年前の一月に長靴を履いて銀河鉄道に乗り込んだことは今も鮮明に覚えています。私には停車場に止まる銀河鉄道が見え、車輪の音までリアルに聞こえました。どきどきし乗り込んだのです。其の後、色々な銀河の旅に連れて行ってくださいました。今日は、自分の頭の曇りが気になり、どうしようもありませんでした。いつものように銀河の世界に身を置く心地よさ、自由を生命で感じながらも頭は心配や憂えることで曇っています。何故、6月最後の大切も大切なコンサートの場において心配や憂えることが頭に浮かぶのか、自分でもやりきれない思いでした。解決の場であるからとわかり、そのまま受け止めました。気持ちは先生の演奏をよく聴きたいのです。生命はよく聴くことを求めています。この頭だけが何故逆にはたらくのかとうんざりもし、答えを考えました。その時から先生の音は宇宙の生まれる前の意志とし聴こえてきました。無限な世界を感じました。愛も無限でした。頭が逆にはたらくのは、恐怖でありました。人間によって作られた神への恐怖です。恐らく幼い頃に頭に植え込まれた恐怖と考えます。恐怖は有限の世界で生きている故に生まれます。全てにリミットがあるので、範囲を超えることは恐怖を感じることに気づきました。死が最も恐いことです。この度の東北センターでの「死について」の時に体がなくなったら死だということを誰が決めたのか、という先生の一言で目が覚めました。生まれた時からそのように受け止め生きてきたのです。死なないと言う表現は先生に出会い、いだきで生き、たくさんのコンサートを経験してからわかる人生を生きてこれました。高句麗始祖東明王様も死んでいないと感じています。ずっと存在し続け、はたらいてくれています。死をもって終わるという有限な世界で生きることで頭に恐怖を植え込まれていることが見えるようにわかりました。連続コンサートの経験により、愛を頭でも認識でき、おおいなる存在、新しい神とつながり生きていく生命となっています。生命はおおいなる存在とつながっていても頭は神を忘れることがあると気づいた時には愚かさに泣きました。限界を感じる時は忘れている時です。悲しいともやりきれないとも切ないともなんとも表現し難い悲しみに涙しました。同時に、無限な愛を経験し、叫びたい程の感動が胸を貫きました。
先生は銀河鉄道と言う表現により、私たちを銀河の世界へも宇宙までも連れていってくださり、限界のない世界を経験させてくださいました。単に言葉の表現に留まらず、リアルに銀河鉄道が見え、音まで聞こえる程の現実味を帯びた表現ができるのも先生だからこそです。銀河や宇宙は広く、何の境もなく、無限な世界です。コンサートによって真に銀河を旅し宇宙の外から宇宙を見ているような感覚が芽生えたことには大変驚きながらも、生きる希望を見出すことが出来ました。世界の問題も解決できると考えられるようになってきました。「これからは世界の各地に向かうためにたくさんの生命を積み込みました」との表現からは、それも「乗車定員はありません」との表現から、私たちは銀河鉄道に乗って「新たに実現する幸せを各地にお届けするのです」を生きていくのです。なんと喜ばしいことでしょうか。うれしくて感動の涙こみ上げます。今日も、家で世界のニュースを見ていると、体が焼けるように痛くなり、行き場のない苦しみに襲われました。解決できない有限の世界で生きていると共に倒れていくことを身をもって感じます。無限な世界で生きる生命であれば幸せをお届けできるのです。今後の生き方は示されました。この感動をどのように表現したら良いかは今後もずっと考えます。感動という言葉は同じでも今まで経験したことのない感動なのですが、感動としか表す言葉を知らないのです。おおいなる存在も真の神も愛も銀河鉄道も全ては先生が表現してくださるので経験できるのです。源は宇宙の生まれる3段階前の世界と歴然と見える空間であり一音一音に、感極まり、涙よりありません。
アンコールでは無限な世界で生きる生き方を手とり、足とり教えていただいているようでした。無限な世界で一歩踏み出していくことを覚えました。未知なる世界ですので手がかりはありません。おおいなる存在が共にあるので、一歩踏み出せます。胸深く動く感動の愛の音が聴こえます。宇宙の星雲が渦巻き動き、「あ」と見えました。ある一点に止まり「い」と見えました。私は心の中で「あい」と表現した時、演奏は終わりました。あまりに見事な最後で畏れ入りました。「あ」と「い「」の図形は、生命に刻まれています。先生にお会いした頃、先生から「あ」の音はどう見えるかと尋ねられました。宇宙の星雲が渦巻く光景が見え、カオス状態にも見えたので、そのまま表現しました。「い」はどのように見えるかと尋ねられ、「あ」が一点に止まると見えるままに表現したのです。先生はすごい感覚だねとおっしゃいました。私はいつもおかしい人間と言われてきましたので、こんな表現をしてしまっていいのかと案じていたらすごい感覚とおっしゃっていただき、夢のようだと喜び、胸の内に光が灯ったのです。こんな人間でも生きていけるかも知れないと光を見出したのです。この時のことは忘れられません。今日、6月最後のコンサートのラストもラストの音で「あ」「い」と見え、表現し、拍手喝采でした。感動を超える感動のコンサートで最後が終わり、すべてはおおいなるはたらきかけと感謝しますが、全ては先生がなさってくださったことです。人間であればこのことを忘れることなどできようもなく、しっかりと身につけ、「何よりも美しい精神、愛満ちる人々をお乗せして出発します」とアナウンスされた銀河鉄道に乗り、世界へ向かいます。銀河鉄道の表現により真に世界戦略をご指導頂きました。皆様と共にかけがいのない経験をさせていただき、6月が終わります。無事で今日この時を迎えることができ、心からありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。