日本人として生きる
地元の商店街を歩きながら自分は何をしてきたのだろうと不思議に感じる。ここにずっと、親に心配をかけまいとじっとしていたら、どうなっていただろうか。信じられないような内面のつながりをふっと感じる優しい出会いや、必死に喰らいついていったときに、同じように必死で喰らいついていっている方と顔を合わせて、心通じる感じや、ひとつ、ひとつの経験のどれをも得ることができなかったことになる。今を考えても未来を考えても、必死でコンサートへ行くという以外の決断は自分にはもともとなかったけど、どう考えても正解だ。あとはただ少しだけ、卑屈になったり自分を嫌いになったり、それにより粗末になる傾向をなくしていけたなら。自分がべったりと地元だけにいる状態よりも、明らかに地元も良くなっている。来月からゼロからやり直しだけど、直視すべきことから逃げずに、ビデオ講演会でお聞きしたように先生のお誕生日のコンサート、先生のことを忘れずに、生き働いていこうと自ずと意欲が湧く。
いだきしん先生はどう考えても家族全員の恩人なので、「一見良いように見える魔の手」や沢山仕掛けられている「一番やるべきことから逸らすための罠」を見極めて戦っていかなければならないことを感じています。仕事を立て直すための理念を考えたときに「日本人として生きる」と生まれました。いのちの働きを活かした仕事でないと続けられないことをわかっているので、本音をいつでも逸らさずわかっていくことは、年齢を重ねるごとに無駄なく工夫して生きることに繋がるとも感じます。助けてくれた人達に報いるためにも変わらなければいけないという意思が立ちます。