神話の始まり
びわ湖ホールでのコンサートは何日間もずっと聞いていたいほど幸せでした。そして初めて集う方々と終演後に話をしていると同じ幸せを経験していることをわかり奇跡を見る思いでした。
日本の元なる神の顕れから様々な神が日本に活き活きと蘇り、日本人は畏れを思い出して自然や神への畏れと共に豊かに生きていくことが出来ると感謝が溢れます。聖なる椅子と全国を周って行かれるこれからは現代の神話が始まる大変尊い日々と感謝しています。
世間で言われている龍神と全く違う存在がピアノの音には顕れました。その龍神の先に昔の人は日本の源の天之御中主神を見て生きていたことを感じます。そして龍神と共に生きる美しい女性の存在を経験します。そのような事もなく固定された今の龍神の悲しみを癒されていく音と聞こえていました。どこまでも人間本位で解釈し利用していく在り方に神はくたびれ、潜むよりないと昨日の講座にて伺った事が今日には解決されていっていることが奇跡です。
琵琶湖の水に風や光が交わる様は愛そのものなのではないかと、頭で考えたこともない不思議なことが明確に腑に落ちていく瞬間がありました。水そのものに愛を感じるとは大変不思議なことでした。神と自然は交わり続け、琵琶湖は宇宙と通じ人間が当たり前に幸せに生きる場の中心にあったことを知ります。再び自然と宇宙と神と共に生きていける喜びを感じます。
一部から二部へと続き「繊細な愛」では予期せぬ涙が降り続けました。六月二十一日という日を祝いたくて張り切る父の存在は最も逞しく優しい姿でした。そして繊細な愛というテーマを喜んでいます。前日から、(目には見えないながらも)目撃情報を話してくださる受講生の方達がいて意気込みを感じていました。
余りにも幸せで、その場に大事な人が集っていることもまた幸せで、神と共に生きる女性の喜びや美しさが駆け巡っているような時だったのです。社会の中で男のようになっていく要素は一ミリたりともないのです。
女性を極める生命の繊細な状態を音から経験させて頂いて、一人一人の中から捻くれて愛を阻むものがなくなっていると純粋な気持ちを話し始めることに、本当に同じ人かなと心底驚きました。
神と出会い、女の神秘を経験する掛け替えの無い時を有難うございます、全ての巡りが良く美しい日です。