生きる
生きていても、この状態は生きてない、これが外れる、落ちることかとゾッとすることもありますが、いだきの常に先に向かい創る動きが指針となり助かります。
この時に、応用、「死について」、ビデオ講演会、心からありがとうございます。
言葉のお話は、私の大変な課題です。高麗様が乱暴な書き込み、見えない書き込みの事を話された時、自分でも辟易するワンパターンな表現を感じていたのでドキッとしました。自分のいのちと向き合い丁寧に言葉を使い、何より高麗様の身を痛めない表現をしていきたいです。世の中を、世界を変える方に出会いたいと願い、先祖の魂、大いなる存在、あらゆる働きかけから出会わせて頂き、表現しないのは、罪のように感じるのです。表現し、動いていきたく、ちゃんとした本を読み通す事を教えて頂き、幸いにも、繰り返し何度も読みたくなる本があり、先ずそこから始めます。
たくさんのコンサートを経験させて頂き、気づきも多く考え方も変わって行ってます。おかしいことを追求する、「知る」権利を行使し、正しく知ることで頭が整理され、行動になることのお話しはワクワクしました。気になることかたづけます。
現れたことのない神様のお話し、聖なる椅子とピアノの音、無観客の聖なる空間、オンから変わっていってる日本のお話は点が繋がらず、点が面となる時を楽しみにしています。
エチオピアコンサートのお話しには
あらためて歴史的な深さ、尊さに感極まりました。先生が、たった1つ、レディーファーストを敢行することを考えていらしたこと、頭垂れます。
女性が外に出ては行けないイスラム世界の中で、誰よりも動いてお金集めをされ、成ったコンサートの主催者高麗様が
片隅に追いやられていたお話しを前にお聴きした時は、自分の事のように腹が立ちました。コンサート後の会議で上座にお座りになる、歴史的、画期的な場面が見えるようで、女性が物のように使われた悪慣習が終わり、新しい時の始まりに居合わせ感無量でした。
ビデオ講演会で話された、
エチオピアコンサートの朝に見た夢の
お話しは嬉しくて愉しくお聴きしながら、やはり高麗様の尊い存在に感謝してやみません。
知り合いの受講生が、お話しを聴いて
明日も行きたくなったと、大津琵琶湖コンサート参加となりました。
東京もよくいらしたのですが、最近仕事で
参加されず、京都だけだったのでさびしかったですが本当に嬉しいばかりでした。
本日から開催、琵琶湖、迎賓館、京都へと連続コンサートどうぞよろしくお願いいたします。
岡 博子