KEIKO KOMA Webサロン


夜、休む時も起きてからも夢と現実を考え続けています。同時に昨日から考えていることは、コンサートにて音から見える図形についてです。次元が違うものや存在であるのに、先生は交わり、ひとつになっていくことを考えます。言葉も先生がおっしゃることは多次元が交わり、ひとつである表現と考えますと、理解できます。聞く方は、一つの固定された頭の枠中で聞きますので、言葉は同じ言葉を使ってもまるで違う意味になるのです。夢と現実という言葉も自分の理解や経験の範囲で捉えようとするとどこまでいっても理解できることはないと行き着きます。よって今日のメッセージの最後の「自己の命の言葉を表現していくことが大事です」に至るのです。経験したことをそのまま言葉に表現してみることが、大切と痛くわかり、今日のコンサートが始まりました。

第一部「わびとさび」

「「わび・さび」と一言で表しているようですが、もともとは別々の言葉です。日本文化の美をあらわす美意識のひとつです。一見時間が経てば寂れていくようなものにある美しさを見つけることが「さび」。「わびさび」とは言いませんが、自然の変化と共に美を作り上げていく造園、時間が経てば経つほど味わい深い庭をご覧になったことがあるでしょう。「わび」は寂れとか穢れとか本来目を覆いたくなるような事柄の中にも積極的に受け容れ楽しもうとする言葉です。「わびさび」が日本文化の精神のひとつになりました。言葉では表せない美意識です。室町時代の珠光から始まり千利休に受け継がれた「侘茶」が有名なところでしょう。」

先生のお召し物も目が覚めるお着物でした。わびさびという表現をそのまま見ました。演奏は、とても優雅で静寂で素敵です。音から見える光景は、木の葉が舞い落ちていく様です。なんて優美なのかと魅入ります。空間とひとつにあり風とひとつに流れが生まれ、美しい舞いを見せるようにし散っていくのです。次には日本海に沈む夕日の光景に胸が切なくなる程の寂しさを感じ、人生を想い、岩を打ち砕く波しぶきに、何があっても乗り越えていくことが人間の人生と想い。。。先生の故郷の地で見た千畳敷の海岸でのひと時が蘇ります。波にさらわれてしまいそうに高い波が打ち寄せる中を先生が歩いておられる光景は人生を深く考えることへと自ずと心が動き、生命あることに感謝し、生きていることは感謝の気持ちを表していくことと至るのです。人生を考えるかけがいのない機会です。そしてここ数日、ビデオ講演会にてお話ししていましたことですが、私は白黒の世界に魂震えるのです。和紙と墨、モノクロの写真を見ると魂震えてなりません。わびさびと考えるとそうなのか、と改めて考えました。黒楽の器も好きです。外は質素でも内にある光、華を感じていける佇まいはとても魅力的です。中国で見たモノクロの写真は昔の中国の家の庭の写真です。質素で素朴な暮らしの風景に見える写真からは皆が健やかに暮らしていけるように支え合い生きた温もりと皆で暮らした生命の息吹を感じるのです。色には現れずとも内にある光が現る世界は心が豊かになります。最後は、心が空となり、空に美を見、華を見、雅を見ました。何もないところに現る美の真に美しいこと、華の輝き、雅の上品な麗しい香りに感動します。素晴らしい演奏に感服し、人生の豊かさに感謝します。

第2部「幾年も経つことにより」

「もう一度、日本の文化の優れている幾年も経つことによって豊かになる、あるいは言葉に表せない美しくなることを感じ、考えてみましょう。豊かさも、言葉に表せない豊かさを感じてみましょう。愛も若さゆえの愛というとても純粋な愛があります。時間経つに従い、さびた愛は愛についてはあり得ません。「わび」も同様です。まさしく言葉に言い尽くせぬ豊かさ、美しさ、計り知れないエネルギーなどなど、何を言っても愛の素晴らしさを言葉だけでは語れません。だからこそ、自己の命の言葉を表現していくことが大事です。」

今日も私は神の現れを見、神の変化する姿、動きを見ました。神は多次元と交わり、ひとつとなっています。私には今日の先生の音から世界中の神がひとつになったと見えました。宇宙の生まれる3段階前の世界によってひとつになったことに奇跡を見ました。そしてそれぞれはそれぞれの特性を表し始めました。神も多様であり人間も多様であることの豊かさに安堵しました。神の舞とも見える美しい動きが見えます。時には激しく燃えるような情熱を発し、全てを変えていく動きが見えます。同時に愛の現れ、愛の変化も見えました。神の変化する光景も愛が変わりゆく光景も、見たこともない美しさです。音は、神々が出会いひとつになる音と聞こえ、魂震えるばかりです。見たこともない美に出会い、今まで美しいと感じてきたことが真の美と捉えていたことに気づき美も更に豊かに深まることの喜びと希望を感じます。コンサートにて今まで感じたことも見たこともない美を経験できたので、美についても深まる経験ができ、目覚めていけることにこれほど豊かな人生はないと心から感謝します。ふと気づくこともあり苦笑しました。先生のコンサートにて多次元がひとつであるところに存在する自分は死んでもあり続けると体感でき、ここに書き込みをさせていただいていました。仙台のコンサートにて、先生からどのような意味で多次元がひとつという表現を使っているのかと尋ねられ、そのまま表現させていただきました。そしてコンサートにて多次元同時存在を表現していただき、経験できました。私は自分では認識できませんでしたが、幼い頃から求め続けてきたことの答えに到達できたと感じていたのです。今日は到達できたところが始まりであったと気づき、笑ってしまったのです。終わりのない探求が真理とは先生にお会いし深く合点が行くことでした。やはりそうであったと気づき、大いなる喜びが生まれます。美も際限なく美に出会えるのです。豊かさも際限なく豊かさを経験できるのです。素晴らしい人生です。素晴らしいということも際限なく経験できるのです。心は豊かさに満ち、幸せを感じます。愛の変わりゆく光景を見、見たこともない美に出会いました。さびた愛はないとの先生の表現に笑み生まれます。いつも頭はわかろうとし必死になります。わかろうとすると疲れます。正解を求め、正解であるか否かに囚われていては多次元どころか低次元の世界に留まり、抜け出せなくなります。先生の音をただお聴きしていると、神に出会え、愛の変容を経験できます。言葉によっては言い尽くせない愛の素晴らしさを先生はピアノで表してくださっているのだと今更ながら感服しました。先生は言葉によって通じ合えない限界を見、ピアノの即興演奏を始められたことはお会いした時からお聞きしています。今日は、改めて先生の音は全てを表現してくださっているとわかり、きちんと聴ければ、全てを経験できるとわかりました。どれだけ多くの学びがあったことでしょう。音から見える光景の美しいことは、魂震えてなりません。ありがとうございます。

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京都高麗屋にて
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