ご縁のある杉並公会堂
杉並のコンサートの1部のメッセージは正直、よくわからないままコンサートがはじまりました。夢と現実…夢と現実は違うということだけは聴けたようでしたが、わからないままピアノに集中しようと務めていました。とちゅう、ピアノの弦が切れたかのような凄い音がして、杉並公会堂は何が起こるのかわからないと感じながらコンサートに集中するよう務めます。なぜか悲しい気持ちになるのですが、わからないなか、後半になりました。悲しい気持ちから今度は何にも向かう強い気持ちが現れました。揺るがない強さは柱になり、こっちが現実なのだと内面から知らされるように立ち上がるエネルギーのなか、1部が終了しました。
2部は、自分自身をガードするからと、ある拘りのなかで、ガードという言葉がぴったりであるのを見つけました。頭でガードという状態を認識すると、拘りは溶けだし、頭のなかから視界が広がっていく様がわかり、全体が観えていきました。頑固もいいかげんにしろというほどのものです。
本当はわかっているのに、わからないように、ガードしているのは、この頭なのです。
杉並公会堂は極から極へと、転換していく場であり、怖さもありながら、凄い公会堂だとこの度も感じます。子どもの頃、はじめての舞台に上がった場所でもあり、凄いご縁も感じます。
これからメッセージをよくわかっていけるように致します。
後半第一回目の杉並コンサートをありがとうございました。