死中に活を求める 熟慮 断行
三鷹でのコンサートのメッセージの始まりから頭が、何?何?とくるくるハテナ?で、まわりだしました。
サロンの書き込みを拝読させて頂いたり、インターネットで調べたりしましたが、本日のスカイロケットセンターでの講演会でやっと少し整理できました。インターネットでは、死中 すなわち 死、破滅、絶望的状況の中で、活 すなわち いきる。生き延びる道を探すことのたとえ。
と記載されています
ビデオ講演会にて、高麗さんとえりかさんのコンサートメッセージの会話をお話になられたときには、思わず微笑みました。
断行と高麗さんが言われたことを、「?だんご?」と返されたのをお聞きして、あーっ!私もえりかさんと一緒!と心で言っていました。
この今の世の悪状況が何故起こっているのか、探求して指摘している人は、沢山おられても、どう足掻いても誰一人解決策を持っている人は無い絶望的状況が今であり、活 すなわち、生きる道は、いだきよりありません。
高句麗は、武術に秀でて、芸術は、精神性高く、それが日本の武術、芸術に繋がっていること
ピアノのコンサートの形である先生の舞台のお召し物も、演奏、空間全てが、美しく、奏でられる音は、愛であり、世界が変わる最高の武術、芸術と感じます。
毎日毎日のコンサートは、かけがえのない時です。
一枚一枚何かが剥がれるように、真理に気付く毎日、このような6月を過ごさせて頂ける日が来るとは、考えもしていませんでした。
本日は、アントレもあり、高麗さんのおっしゃる6月コンサート折り返し地点にある大事なアントレです。
心して参加させて頂きます。