解放
第一音から涙が溢れていました。誕生というとてつもなく素晴らしい出来事に胸が震えました。しばらくして胸の震えが止むと第一部のメッセージが思い起こされていました。目的を達成するために生命に突如生まれる気持ちや要求を押し殺し大事な機会や可能性を潰してきたことがありありと思い出されました。子供の頃は親の目的のために、自分の意思が芽生えた頃からは学校で良い成績を取るという目的のために、自由な発想や情熱や豊かな感性は寧ろ邪魔扱いされるように隅に追いやられ押し込め我慢し、、「強迫観念」と何度も先生にご指摘いただいた10代の頃を思い出していました。20歳前後には自分で立てた目的を達成できなかったという結果に引目を感じ心底自分はダメな人間だと自嘲し悲観し、そこから立ち直ることにも長い時間を費やしました。しかし今日、疑うこともなく大前提としてあった目的を達成するという観念は、それ自体が呪縛であり誤りであったと理解しました。目的に翻弄されているので目的を達成できなかったという結果を未だに人生の汚点のように考え囚われていました。14歳の時にいだきと出会いその後通ってきた道のりが今日のコンサートで一新し、爽やかな風が吹き抜けると同時に汚点も失敗も挫折もそれ自体が虚構であったと言わんばかりに消え去り、生命の内には一筋の清らかな流れが生まれました。何年も苦しんできたことがあっという間に消え去りました。すると突如胸の奥から湧き上がる情動に戸惑いました。凄まじいエネルギーが体の内から湧き起こり、そしてそれは、人を愛することの自由と情熱、パワーが沸き起こっていることに気がつきました。人を愛するパワーこそ直向きで継続的で強く美しいと全身に満ちる歓びに飛び上がりたいほど嬉しく感動しました。今日もまた見る人間の素晴らしさに感激しました。そしてさらに、情熱がふつふつと内に燃え盛っていることを感じました。それは社会に向かっていました。思い出すのは、数年前ある時偶然巡り合った方と過ごした晩のことでした。当時自己のエネルギーがバラバラに分散し、どこへ向かうべきか道を見失い暗澹たる思いでを生きていた時、その方との生命の交流から突如ハレーションを起こし、一瞬にして全身が統一し、自分の行く道、方向性を見出したのでした。自分が何に支えられ誰に支えられこれまで生きてきたのかを想い、感謝とそしてそのご恩を返すという当然というべき気持ちが込み上げ、一人泣いて過ごした一晩でした。当時のことがありありと思い起こされて、そしてそれは再び自分の裡に情熱としてはっきりと浮かび上がっていました。時は経ち、当時よりも知識、経験が増えた今、情熱の源泉から次なる一歩へ進む勢いが生まれていました。誕生し、また誕生し、と生まれ続ける連続でした。
そして続いた第2部のメッセージは、第一部ですでに経験していたのでよく分かり、更なる続きを楽しみに待ちました。成していくパワーの源泉にある愛を経験しました。そしてさらに人間を超越した大いなる存在の顕れを前にし、首を垂れ、ただひたすら無心でした。ふと自分の名前を呼ばれたように感じ、その一瞬は自分の存在を考えました。その時、先日のコンサートメッセージで天性をお聞きしたことを思い出していました。まるで自分自身が天と通ずる柱となったかのように真っ直ぐに立ち、畏れ多く、頭を上げることはできませんでした。アリランはとても美しく、高麗さんの存在、高句麗を感じました。私にはこれまでの人よりもこれからの人を見て何をすべきか考えよ、と言われているようでした。これからの未来に生きる生命が豊かに生きられる社会環境は、これまでに生きた人々も報われると感じました。人が仲良く幸せに生きていける良い社会をつくりたい気持ちの高まりと共に胸に浮かぶのは高句麗の暮らしです。高句麗の暮らしが歴史に残り、今に光り輝きあることが希望です。
最後のアンコール、会場中の方々と共にした手拍子を打つひと時は特別でした。最後、皆で心一つ、生命一つであれることで生命は守られると感じました。
今日の経験を経て、長い呪縛から解けたこれからが実践の時と感じます。
心よりありがとうございます。