愛の涙
今CD、始まりの音を聞きながら書き込んでいます。この6月をこのような日々を過ごすことなど予想もできませんでした。配信も身を運ぶことも今はできないけれど、誰かのせいにしていたら思い通りにならないことが苦しくて悔しくて涙が止まらなかったのです。でもふと気づくと誰のせいでもない自分の本質にかかわることと気づきました。
私にはたくさんの数えきれない宝があります。CDも心模様の作品も、行けると思っていなかった海外のコンサートも皆過去の思い出ではないのです。先生に助けていただいた経験も、それらは今生きて力になっています。
先生が顕れるということは自分の弱点も皆そのままに表れてくるということです。
毎回のコンサートの書き込みを拝読するのと同時に、空間を通しての気づきは半端ではありません。半端がない分過酷でもあります。悔し涙のうちにどこか違和していたものがあります。先生を感じるとき流れる涙があります。それは愛の涙でした。うまく表現できません。なぜ涙があふれて止まらないのか。。。
様々の人がいて名前も知らない受講生も、生き方も環境も全く違う受講生が一つになれるのはそれしかないのです。まだ身を運ぶことをあきらめたわけではありません。ですが今までのようなことはできないのです。今までのようにできない何かを感じています。落ちていくのとは違う何かを。
杉並公会堂はなぜか一度も行った覚えがないのです。自然に任せるというのとは違いますが、「始まり」の音は優しく全てを包み込んでくれています。
皆さんの書き込みも大きな力です。今日もよろしくお願いします。
西川久美子