人生を考える機会
6/1府中コンサートに参加させて頂きありがとうございました。第一部のメッセージをお聞きして涙滲みました。昨日から、連日の夜勤にて頭痛があり、日中数時間の仮眠の前に6月の薬膳茶を頂いた時、頭の神経の痛みが和らいだことに感謝していました。それでも会場の一席に着いた頃には疲労は残っており、今この時にこのメッセージを下さる先生の優しい心、会場に集まる方々やこの世界全体の方々と共に在りながら生きて下さっていることを感じ、その心がありがたくて涙しました。演奏では、起きているのにまるで深い眠りに落ちているように頭の中心から癒されました。眠っている間に働いて下さる存在を感じ、深い眠りの世界を体感しました。
休憩時に洗面所の鏡に映った自分が寝起きの顔で笑ってしまいました。
第二部はとてもわかりたいことでした。演奏は身体の奥底の何かを呼び覚ますように、音が奥底に繰り返し響くのでした。ふと、ほぐれた時に頭に浮かぶことは、子供の頃から一貫してやりたいことでした。天性とは言えず我ともわからないですが、今はただその気持ちを素直に受けとめました。
最近特に感じるのですが、やりたい気持ちがあることは寝る間も惜しんでやっていて、やれることが増えてゆくのですが、そうでない場合はやれることも増えないし関係も深まらず繰り返しとなっています。気持ちに理屈はありません。やりたい気持ちは無くても人間として大事なことの場合は、やはり自分勝手で本当のことが見えていないからと考えますが、本当はどうなんだろうとわかりたく感じます。
ありがとうございます。
5/31渋谷コンサートに続き、人生を深く考える機会を頂いています。
渋谷コンサートでは人生には質の高い人間関係が不可欠で、真の神が寄り添う「女と男」の関係を経験させて頂きました。
全く話が逸れてしまうのかもしれませんが、最近最新の科学研究で「男女の性」を取り上げているテレビ番組を観る機会があり、性を判別する染色体の組み合わせがxxでは女性、xyでは男性ですが、xが3つあったりyが極端に小さかったり多種多様なあり様がある事がわかり、性とは女と男を両極にグラデーションのように移ろいやすいものとされているそうです。そのため外見と中身、外性器と内性器の性の組み合わせが違うように産まれたり、また自分の内なる性に気付く時期も人によって違うとのことで、昨今活発なLGBT運動の意味がよくわかる機会となりました。社会的に決められた性の枠で生きられず、ただ自分らしく自由に生きる権利を主張されている戦いなんだと。
第一部では黄金色の世界が空間に広がるように感じられ心身洗われる経験でした。第二部のメッセージをお聞きした時は正直お手上げ状態で、個人的には諦めきっている自分がいました。背筋を伸ばし演奏をお聴きしていると、徐々に子宮が解れてゆくことが感じられました。
自分とは違う性を持つ他者と、より良い関係を築くこと、それが本当の関係ならば人生の豊かさが広がるのでしょう。単独ではどのようにも経験出来ないというところに人間の生命の神秘を感じます。
先生の表現が全体に広がり、誰もが生きられる社会となって欲しい気持ちに気付きます。
個人的には諦めはやめます。
連日のコンサート、誠にありがとうございます。