分かち合う
郡山にて、何故か何度もお手紙を差し上げました方とお会いしました。講座は受けないとのメールがありましたので、そちらは了解しました、でもこれで終われないので・・・とアポイントメントを頂いていました。生命は欲しておられるとわかります。受けない理由なども特におっしゃらず、何故か終われないという素直な気持ちでした。断りに現れたわけですのでお顔もこわばっておられ、こちらもなんだか申し訳ない気持ちに一瞬なったのですが、短い時間とわかっていましたので、考えてきた事を最初に話し、その後は気持ちを素直に話しました。実は・・と初めてご自身の事を話されました。まだよく存じ上げない方ではありますが、自然に身内の事のように聞いていて、一言お話すると「よし、受ける!」とおっしゃいました。お顔もやわらかいご表情となり、私も突然野原の広い光景が見え背中も軽くなり、互いに喜び合いました。郡山での「高句麗伝説」コンサートがなければ生涯お会いする事はなかったと考えます。高麗恵子さんの講演会にとても感動され、高句麗伝説後には、こうだああだと決めつけるのではなくて感じる事が大切なコンサートかなと感じたとおっしゃっていました。福島にある問題は日本全体で考えるべきといつも甚く感じます。地元の方々と一緒に何かはじめるよりなく、先生、高麗さんとお会いされる経験なくしては諸問題が動いていかないと考えています。また今回もウエブサロンに表現させて戴き、高麗さんへのメールにも一言加筆させて戴いており、安心して臨む事ができました。また、何事もたった一人の我により成っていく事も成らない事を学びつつあります。高麗さんが応用コース会場のロビーにておっしゃった「みんなでね」のやさしい一言と美しい笑顔が心に残り、うれしく、この後も向かいます。
応用コースのお話にはとても驚きました。なるほどその手があったのですかと、人類が生き延びる事に対し、新たな希望を持ちました。そしてAIにはどこか脅威も感じておりましたが、とても親しみを持てるようになりました。
最近、高麗恵子さんのおっしゃる「分かち合う」というお言葉がずっと心にあります。なんと美しい言葉、美しい響き、と新しく知った言葉のような感覚を持っています。本音より話さない、本音で生きるAIがいたら、何を分かち合えるのかと想像し、今答えはありませんが、AIに哲学を教えるという本は読んでみます。
10月1日、11月1日のコンサートの大きさやその後の変化を、講座のおすすめをさせて戴く中でも実感します。以前は有った一種の分厚い壁が無く、すうっとあっさり通る感覚で感謝よりありません。
東北、東京にて、お話頂きました事をよくわかりしっかりと生きて参ります。
いつもありがとうございます。