高句麗伝説御礼
2日間の高句麗伝説に参加させていただきました。身体が今も熱く衝撃が残っています。琵琶湖高句麗伝説は背筋を伸ばしたい気持ちで1年以上着ていなかった着物に袖を通しました。髪を整え、着物を着るとコンサートに参加すると言うより何かに挑む気持になり、ただ参加するだけですが万全を期して臨みました。琵琶湖は晴れ渡り青空が広がりました。前日とは違い夏を思わせるような強い日差しに、天気も変化する高句麗伝説を想います。何かが起こるかもしれない高句麗伝説に油断するなと教えられます。コンサートが続く時期は長女の子の体調の変化が激しく、周りにいる親を含めた大人の生き方が問われているのでしょう、そんな中での高句麗伝説でした。
琵琶湖では古代湖の深い底から気泡が浮かび上がるかのように、未だある隠されたものが浮かび上がるのでしょうか、さらにあるがまま、さらに嘘偽りは明らかになるのでしょう。シンセサイザーのこの音は日本海の深い底で聴いた音にも似ていると感じました。
奈良高句麗伝説では、目を閉じて詩を詠んでいる高麗さんのお顔が、一瞬、飛鳥時代に渡来人がもたらしたと言われてる高貴な仏像のお顔と重なり、ハッとしました。また様々な楽器が奏でる音は、私には図り知れぬ世界とも感じました。まるで宇宙と交信している音にしか聞こえず、会場全体が別世界の空間が広がり、私はただ座りながら必死に聴き入りました。世界はすっかり変わる、明らかになる、真を表し生きる人間、、が今も身体に響いています。
久しぶりの京都、奈良の高句麗伝説でしたが、遠い世界から戻ってきたかのような数日間でした。生き方、生き様、そのまま現れる時を迎え、潔く生きることしかない、そう感じ帰路に着きました。
連続するコンサートが終わった6月の終わりには果たして何が見えるのでしょう。この度の高句麗伝説を心から御礼申し上げます。ありがとうございます。