作られた歴史が解かれ真あらわる
迎賓館コンサート後に先生がお話しくださったことをずっと考えることが続いています。高句麗側から書いた歴史の書物がなく、新羅側が書いた歴史の書物よりなく、世界で大ヒットしました「チュモン」も韓国映画ですので、韓国側の見方で作った高句麗始祖朱蒙様の映画です。体の違和感が溶けて行く感覚に目覚め、違和感を紐解くように、ずっと考えています。朱蒙様の結婚のお話をコンサート後に先生がなさったこともずっと気にかかっていました。この感覚を辿ると、いつも私は高句麗のことが書かれている書物を読む時、この感覚は韓国人の見方であると心の中で言っていた感覚と気づきます。この思考は高句麗的ではないと感じる感覚があるのです。高句麗について書かれた書物を読む時、必ず感じる違和感です。心の中でこの独特の見方は何かと考えると、作り物のベールが見えます。チュモンの映画は見ていられずに、全く見ていません。先生が最終回に私が高句麗伝説で言っていることがチュモンの最後のセリフとなっているとおっしゃっていたので、そのセリフが知りたくて、最終回のそのセリフのところだけみつけて見ました。驚くことに「敵の心臓を射る」とのセリフでした。先生には私が高句麗伝説で表現していることはこのように聞こえておられるのだと驚きながらも先生は生命の声がそのままわかる御方ですので、そのまま受け止めてみました。敵とは、私にとっては人類の敵であります。人間の生命を犠牲にするエネルギー、仕組みを変え、人間の生命が輝き生きていける良い世界を作りたい気持ちで生きています。今日のコンサートにて「弓」とおっしゃり演奏していただいたことが今も心にあり続け、ずっと弓について、弓を射ることを考えています。コンサートでは朱蒙様は天空に弓を放ちました。人類の敵の心臓を射る弓であったと見えました。今を生きる私達一人一人が世界を変える弓を射るように、生命賭けの戦に勝つ生き方を身につけ、的を得た言葉、行動をすることは、朱蒙様が天空に向け弓を放つことと同じ意味があると考えます。
体にまとわりつく作られた歴史のベールが解かれ、高句麗の真があらわれる予感があります。先生のお話しの一言、生まれる即興演奏の一音のはたらきは弓を射るようだとしみじみと感じる夜です。私の心に深く入り込み、ちゃんとわからなければいけないと心身を正します。私の体は余命2ヶ月と言われるような状態であっても先生が生命の内に宿る高句麗の歴史を紐解き、解明してくださり、解放してくださったので、生命助かりました。このことは真実であります。そして今、今日の迎賓館にて先生がお話しくださったこと、ピアノ演奏により表してくださいましたことがわかれば、新しい生命となり生きていけると感じています。最大の機会とし、今日から「高句麗伝説」を3回開催させていただけますことに感謝申し上げます。先生が渾身の演奏により高句麗の真を表現してくださいますことは、真の歴史が明かされ、この世に真があらわると見えます。最大のチャンスを活かしていけますようにと祈るような気持ちでいます。表現し先へいきたく、書き込みさせていただきます。作られた歴史が解かれていく兆しを受け止め、「高句麗伝説」に向かわせていただきます。ありがとうございます。