女性である幸せ
今ほどに女性として生まれたことに幸せを感じる時は未だかつてなかったと感じます。
虐げられているという感覚と共に女性であることを恨んでいたことは何か根本的に間違っていたと感じ、その間違いとは、日本人であることを忘却しているという大事であったと感じるのです。
腹の下に重心が下り、呼吸は深く、静かに、そしてその動きは素早くまさに伸びやかに、素晴らしく美しい
許せない。許せないという感覚はこの洗練された動きの中で、一瞬にして、正か邪か答えを出していく
切るか切られるか、生きるか死ぬか
まるで、それまで難解で手付かずだった数学の問題を、ある日突然何かの拍子に簡単に解いてしまった時のように、何かに囚われ見えなかったものが、あるきっかけかあるいは閃きを以て突然見えたという感覚が起こりました。見えさえすれば、いとも簡単に解を出してしまえるのに、見えなければいつまで経っても答えを導けない。見えた者にとっては、見えないという感覚に戻ることは出来ず、見えた喜びと好奇心に駆られ、さらに次の難解へと進んでいく。
何がそんなに難解であったのかはすでに思い出せないほどに何かをスッと潜り抜け、私は女性として生まれたことを本当に幸せに感じていることが不思議なのです。
生活のもと、暮らしのもと、働くことのもと、その大元が日本にはある、という気づきなのか、恋愛すらまともに出来なくなった現代人の可笑しさが見えるのです。
日本には女性が大事にされた美しく生きる文化があると感じ喜びに満ちました。
女性に生まれたことを幸せに感じる不思議に今も包まれています。
ありがとうございます。