KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます


仙台コンサート参加させていただきました。ありがとうございます。こんなにピアノが響くものなのかと驚きました。先生とピアノが何か対話しながら、ここまでの音を奏でているようにも感じました。途轍もない音を体験させていただきました。おかげさまで頭はグラグラし、内面がグチャグチャの感覚になりました。サナギから蝶になる瞬間の連続です。コンサート体験前後は、己の中にあるものを見るばかりで、外のことは二の次になります。人に対する思いは、つまり自分の内面の現れと即座にわかるので、一人になる時間を持つことの方が大事になってきます。とにかく、これまで通りに生きることを繰り返すことの方が難しく虚しいことです。支配も依存も虚しいものです。

支援物資にも微力ながら協力させていただきました。このような機会をいただき感謝いたします。自分のためにもなりますし、改めて世界の状況に不勉強ながら目を向ける時間を持つことができました。いつの間にか世界の貧困や虐待のことを遠い国のこととし、考えることをやめていたことを思い出しました。子供の頃、まだテレビの表現規制が緩かったこともあり、大変ショッキングな映像を目にしたことがあります。こんなことがありえるのかというくらい、簡単に幼い命が奪われる様子がうつされ、目を疑いました。しかしそれはあまりのも現実離れしすぎていたし、理解を超えていたし、結局は日々の自分の生活のことで精一杯だったので、シャットダウンしていました。

以前観たあるドキュメンタリー映画でビルゲイツの財団が2億ドルを投資して「トイレ」の開発をしていました。途上国では下水処理もトイレも整備されておらず、汚物がそのまま川に垂れ流しにされ、その水を生活用水として使うので感染症が広がり、多くの命が奪われている。その問題を解決をするためにビルゲイツがプロジェクトを立ち上げ、新しいトイレの開発、ビジネスを展開しようとするものです。映画では最終的にトイレの汚水を飲料水にすることまで実現できていました。世界で起きている問題は一つ解決するにも課題が大きく、かかる時間も費用も莫大なものだと思いました。トイレひとつとっても、実現には2億ドル以上です。

問題を構成する要素は多岐にわたり、複雑に絡み合いながら常に状況が変化し続けます。それを解決することがいかに難しいかは想像に難くありません。対処療法的で表層的な解決にすぎない、と批判するほどの見識も自分には無く、また、では自分が生きている間に自分は何を実現できるか、と考えてみても「無力」という言葉に集約されるしかない状況にいることをただ認識します。いだきしん先生や高麗さんがこれまで継続してされてきたことの威力にも圧倒されます。
それでも絶望しているわけではありません。ただ、希望を持って道を明らかにするにはまだ勉強と成長が必要です。物事をいっぺんに解決する力が無いのであれば、昨日より少しでもより良い方向へ向かうために、自立し生きること、それが自分とのたたかいであり、他者(内面)とのたたかいでもあります。思いつく言葉にすれば「対話」でしょうか。
仕事でも感じますが、本当にその人のためになることとは、一体何なのか、これは簡単に答えが出せることではありません。その人にためにと良かれと思ってなんでも先回りして助けても、本当の助けにはなりません。依存心につながるし、せっかくの本人の自立心を挫くことになります。悩んでいるのならアドバイスをし、考えがあるのなら任せることが大事なときもあります。魚を与えるのでは無く、魚の釣り方を教えるのだ、とはよく言ったものです。

この度の支援のお話、多くの方々の気持ちが集まることで道が開き、大きな力になることを教えていただきました。

ありがとうございます。

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明日、幻のコグリョカフェ
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