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今日から


京都コンサートホールのコンサートは何のといっていいのか、今までのすべてがこの時のためにあったというほどの経験でした。
何から書いていいのかわからないくらい。早く着いた私はコンサートホールのすぐそばにある京都府立陶板名画の庭というところに行きました。ミケランジェロの最後の審判と鳥獣戯画が向かい合わせにある空間です。高麗さんの書き込みに驚きました。まさにその通りだったからです。笑うしかありません。待っているときから父のことをよく思い出していました。講座の日が近づくといつも入院してしまい、私が病院から連れ出して、パジャマと病院の突っ掛けで講座に臨んでいた父。しまい目には受講用のパジャマを買っていたことが可笑しく思い出されます。先生に似合うよと言っていただいていました。いつの事かは覚えていないのですが、ネットで先生がシンセサイザーの音を次々と変えてアップしてくださったことがあります。その時もなんだか芋虫みたいに思える存在に父のことを感じたことを覚えています。阪神淡路大震災の前日まで夙川で受講しましたが、最後の講座の時は東京まで行きました。メッセージの流れという言葉にいだきを受講したころからの水の流れ、光の流れ、時の流れが自然に浮かんできます。誰のせいということはないけれどいつの間にか父のせいにしていたようです。いやそれも違う気がします。みな流れて行って今生きています。今考えるとそれこそアントレプレナーな父でした。その真逆を生きてしまって今の私がいます。小さく貧しく生きるのは本当の私ではないのです。
幻のコグリョカフェにはうかがえませんでしたが、会場で思ってもみなかった出会いがありました。高麗さんの書かれた文字とマーブリングに呼び止められるようにして出会ってしまったのです。そこから離れることもできずただ裡からの涙に呆然としていました。お金のあてもなかったけれど振り込むことに決めぜるを得ません。

共に生き
ともに歩いた道
今も未来も
永遠に

お金は稼げばいい、豊かに生きると決めました。

今日は調査票がいっぱい来たとの連絡に住吉まで行ってきます。今日もJRの車窓から海の煌めきを眺めながら。
していることは昨日と同じでも、生まれ変わった自分の受け取る意味が全く違います。
ありがとうございます。

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