KEIKO KOMA Webサロン

無限なる生命の豊かさ、愛しむいのち


1/31 杉並公会堂コンサート
29日で退職し、光に出会うため、本日のコンサートに臨みました。
一部では、仲良かった子どもたちとの別れの悲しみが未だたまらなく胸をついてきて、はじまりのピアノの音により悲しみは音に溶け合い受け入れてくださったと涙にじみ感じ、数珠つなぎに私の後ろにつながりやってきた子どもたちの先頭の顔がハッキリ見えたとき、みんな光に出会いたいのだと、私を通じて先生に逢えるこの日を待っていたのかも知れないと感じた。
一部では、子どもたちがスクスクと生命豊かに育っていけるよい世の中に変わっていく事を願い、祈りをこめた。一部の終わりの方の演奏は光、光、光、と、わかれ、とでも言われているように強く胸の扉を叩く光があった。そうして、一部の終わりには、あっとおどろくものが見えて意表をつかれた。最後にひょこっと顔をだしたものは。。
闇ってどこに隠れているか、意外なもので、わかっていなかったなあ。。という感想である。

二部だったか、川に沈まないように浮かび流れていく木の葉が見えた。自身の空間に流れていく状態はまるで川に流れる木の葉のようだと感じ、宇宙がそこに出現していると、自然界はすべて宇宙の現れなのだと感じた。何もかも存在する豊かさの世界を風のように舞ったあと川辺にさく赤い花が現れ。。花が歩いてこちらに近づいてきて存在とひとつとなると、存在は宇宙旅行に飛び出した。ありえないスピードで空間へ飛び出し、さらに、さらに、(私は状態ひとつにあまりにも驚き凄まじく涙で潤んでいた) 飛翔、飛翔しながらこれはどこに向っているのだろうか、もしや光の中心の源へ向かっているのかも知れないと考える余裕があった。途中音が変わり、帰れなくなる心配は消えた。別次元世界に着地したようだった。先生はピアノの音で乗り物をまるで操縦しているかのようだ。
麗しく舞うピアノの音は、生命の無限な可能性をどこまでも表し、緑の草原が現れた空間には豊かさがそこに居座っていた。豊かさとは、人間の心と心のふれあう豊かさが一面に緑の草原と化していたのだ。最後にみたものは草原を駆け上る豚たちである。小さな尻尾がみえたからである。
 最後の最後まで、頭の中の認識の構造となる既存の染み込んだものがスクリューされ、まぜこぜになり、新しい次元で再起動させられ、真新しい自由を得た脳は生命が純粋に喜ぶ世界を堪能させられ、既存の認識が覆された。人間ってこんなに豊かな存在だったのか、と信じられない経験ばかりをさせて頂き、感無量であります。まさに、生命賛歌、そのものを経験させて頂きました。世界中の人たちに今日のコンサートを体験して頂きたい、と感じます。生きてこれほどの経験をさせて頂ける、先生のコンサート、生まれてきて良かった、先生と高麗さんに出会えて良かった、人生に感謝申し上げます。
 

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