人知を超えた世界
京都コンサートを東京よりライヴ配信で参加させていただきました。
あまりに凄い世界に今言葉もありません。今までもたくさんのコンサートを経験させていただいてきましたが、今日のコンサートでは、さらに華麗な、宇宙という言葉では物足りないくらいな、それ以上の世界はあるのだろうか、というくらい人知を超えた世界が顕れ、2部はずっと天上を向きっぱなしでした。1部ではパイプオルガンの演奏途中で深く寝入ってしまったようで、気がついたときに、あれっ、2部のメッセージを聴き逃してしまったと一瞬思ってしまったほどでしたが、すぐ正気に戻りましたが、このところ少しのことでも自分の思い通りにいかないことがあると癇癪が起きてしまい、反省などしても無駄なのです。愛とはほどとおく、こんな自分に自分で辟易していましたが、1部の演奏をずつと浴びるようにお聴きしていると、愛は光を現すことと初めてのように感じ、何かをするとか、〜のためとか、頭でいくら探し回っても全く無用であり、まことの命の光、そのまま光をただ現せばいいと目が覚めました。
そして2部は又違う涙が奥に詰まっているようにして演奏をお聴きしていました。1部で光を現すことが愛と感じても、反比例するような自分の酷さばかりに気持ちがとらわれていくのです。ずっとそうしていたら、突然意識が変わり、酷さに気づいていると言ったってそのことのなかで止まっているだけじゃないと頭が反転しました。どんな事であっても、いかに酷い状態であったとしても、これから先を生きるのか、諦めるのか、どう生きるのか、決めればいいだけ、反省なんかただの自己満足。。先生の演奏はどんなときでも先を創ることを目の当たりしました。華々しい音が頭上に展開し続け、宇宙なのか、宇宙という言葉さえも一つの枠であるかのような人知を超えた世界のなかに包まれ、さらにその人知を超えた世界をも超えたさらなる大きな世界が視野を越えて拡がっていきました。ライヴ配信であっても、東京の一つの小さな部屋から京都までつながる世界に参加させていただき、想像だにできないことでした。アンコールのピアノではもう新しい世界が始まっていて、純粋ほど強いことはないと聴かせていただきました。