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良い時


昨夜も東北センターでの「死について」と「ビデオ講演会」に参加した後、そのとてもいい経験を紙に書き終わって、これはいい経験を固定観念のように留めているだけではないのかという自分の表現の有り様に達していました。流れるような経験も、時を止めて有限の世界で言葉にしているようです。良い経験もあまりに大事に留めていようとするあまり、時を止めて切り取った絵を自分の中で綺麗に保存して振り返っているみたいです。決まっていることに向かうのが宗教だよという昨日の死についての講座での先生の一言を思い出すや否や、こうやって自分もいい経験を自分の中で固定して拝んでいるみたいだなと考えていました。古い頭は何かを決めつけたがり、固定したがっています。しかしこの状態では生命は曇り過去のいい経験を偶像のようにして拝みながら、頭が身体をコントロールしているようであります。いつの間にか、良い経験にとってかわるもの。それは観念のようにいい経験のコピーという偶像を作り出して、そこに向かおうとします。先生のコンサートで経験しているのは、いつも今であり、一瞬前の過去さえも融合して新たに生まれ続けている『今』であります。
何が手がかりかといえば、今生きているいのちがあります。今の瞬間のあるがままを受け止め認められるか。たとえそれが良い瞬間の次に起きたことでも、何をも認めてゆくこと。

その自分の今までの有り様にぶつかって、昨夜はちょっと落ち込んでしゅんと耳が垂れそうでしたが、今朝は雄大な自然の中に来て、癒され幸せ満ち足りたままに書いています。大きな自然に懐かれていると、雄大な人と一緒に生きているようでとても幸せな時間です。
絶えることのない水の流れはどうしてこんなにも美しく流れるのでしょう。
全ての生い茂っていたはずの葉が一枚残らず落ちた木々の、守ることなどない生きる強さとその輝き…。
この時が、雄大な自然に住んでいる時間。私がほんのひとときの借り住まいしているその同居人は自然と云えばそうだし、雄大な人と云えば、それもそのようでもあります。


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