KEIKO KOMA Webサロン

神現る時


渋谷でのコンサート第一部メッセージ「高天原に神産巣日神が現わる」

「神」と書いて「カム」と読み、「神」の複合語で「神」の古い形で「神」と云います。はげしくすぐれたという意味です。事物や事象を生成させ勢いよく繁殖させるべく作為します」

ピアノの一音一音に神あらわれ、目を見張る思いで、見入りながらお聴きしました。神現る時、大地に埋め込まれた宝が掘り起こされ、空間は全ての境がとかれ、天空の壁もなくなり人間の生命を覆う枠は取れ、頭にはまった輪っかもとれ。。。と次から次へと神現る世界が立ち現れました。神は人間を拘束せず、人間は自由にのびのびと広い空間を舞うように動いています。神現る世界で生きてみたいと心から望みました。これからは神現る世界で生きることができると考えると夢のようだと感じ、生きたことのない世界で生きていける夢が膨らみます。人の頭の曇りが見え、自分の頭の曇りも見え、浮き彫りとなります。人と比べ、自分の見た目によってより人を捉えられない意識の卑しいことに嫌悪し、神現る世界では生きる余地がない意識と見えました。本当に人の苦しみを我が苦しみとわかり悲しみを我が悲しみとわかる人が人間であると涙と共に生命沁みわかります。私も頭の塵が見えると、いかに真の神を知らない故に傲慢であったかと恥ずかしくなり、あまりの愚かさに申し訳ない気持ちで一杯となり、涙滲むのです。心身洗い清められたようでしたが、頭も洗い清めていただき、すっきりしました。ゴミがあるような頭は自分の生命を痛めるだけとよくわかりました。自らの生命を痛める頭は深く垂れ、生まれ変わるよりないと感じます。先生のように人の苦痛とひとつとなり我がごととし解決に向かう方こそが真の人間であると身にしみます。一部では神現る時、人間はどう生き、世界はどう変わるかが言葉になりました。今の世とは真逆な世界でした。神は現れたのです。今の世は変わるのです。

第2部は「高天原より天降り」

この一文が何を意味するのかと演奏を心待ちにしました。ピアノの音は神からの働きかけ、愛と見えます。働きかけ、愛が雨が降るように注がれてくるのです。神は一気に人間の世を変えようと動いておられるのだと感じ、武者震いが起こります。愛よりない世界となったら、愛のない人間が生きる隙間もないのです。私の目に見える黒いものは存在できないのです。神が全てに介在したら、黒いものを追い出す勢いで人間もこの世も変えていきます。雨が降る如くに愛が降るように注がれています。雨という音ばかりが内から生まれました。以前、先生より「天照大神」についてお話を伺った時、「アメ」という音が心に残りました。今日は先生の演奏をお聴きし、「アメ」「アメ」と心の中で口ずさんでいました。天照大神の存在を感じていました。雨のように注がれた光、愛満ちる世界では闇も黒いものも吹き飛ばされ、存在できないことを目の当たりにしました。最後は愛の歌と勝手に表現させていただく大好きな愛の音が光の波のように見え、世界へ宇宙へと広がっていく光景が見えました。深い感動に包まれ、神現る世界で生きる喜びに溢れました。

今日も胸が痛み、リハーサルの時に先生がピアノを弾いてくださいました。演奏から見える世界を真理、神と表現させていただくと自分の頭で作ったものとおっしゃっていただき、内面深くを感じると愛とわかりました。頭で作っている世界と生命から生まれる言葉は完全に別物です。真理、神と表現させていただいた時は体が動かず、愛とわかった瞬間には誰とも境がなく、何とも境がなく全てはひとつであり最高に心地良く、全てひとつであることに安堵し、全ての緊張が溶けていました。先生のメッセージも読ませていただき知ったつもりの頭では塵のような頭となります。わからないので、解釈したら完全に違うことになるとはよくわかっていましたが、生きる上で最も大切なことは生命でわかっていかねば生きていけない時が来ました。第2部はタイトルだけという尊い機会を与えていただき、経験を自分の生命の言葉で表現しわかっていける経験は、これからを生きる力となります。生命を痛める頭は今日で終わりです。人の痛み、苦しみを生命ひとつでわかることが人間であると涙と共にわかり、人を見て判断するなどとんでもないことであるともよくわかり、生命ひとつに生き、愛に生きることが人間の生き方であると世界へ宣言されたと感じ、これから大きく世界は変わると感じています。

今日も生きていけるように最も必要で大切なことを経験させていただき、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。

KEIKO KOMA Webサロン
2周年記念焙煎コーヒー第2弾
KEIKO KOMA Webサロン
到着
KEIKO KOMA Webサロン
盛岡市民文化ホールにて