あきらめ
結論から言うと、自分は心の震えなくしては生きられない存在なのだ、とあきらめをつけることにしました。
これが沁みる、身をもってわかるという経験なのでしょうか。胸のつかえがとれ、今なお残る心の震え。
「なった」「分かった」気になっていた今までとはまるで別次元の生命の感覚に驚きを禁じ得ません。
直前まで、母の遺産相続の件で家族と話し合いを続けていましたが、その中身のなさにイライラして仕方ありませんでしたが、自分が内面きちんと表せずにいたからそうなっていたのだとわかりました。
恥ずかしながら、第一部のメッセージ「物神化」 を聞いた時には、「 あー難しい 自分とは関係のないことだ」と決めつけておりましたが、 それは大きな間違いだと分かりました。
大きな虚しい胸に空いた穴を埋めるように充たされる愛。言葉は出ず、ただただ充たされる感覚に浸りたいとだけ望むのです。
この胸に空いた穴がある限り現実の社会では生きていけないのではないかと常に不安につきまとわれ、心が震える自分を疎外してまいりましたが、演奏を聞いて、第二部のメッセージにありましたコンサートその場限りにするには、身体で分かりすぎてしまったと言えばよいのでしょうか。
自分が自分でいられないことが精神病につながるとのお言葉も、過去に精神病で入院した私はあまりに得心がいき、可笑しくて笑わずにはいられませんでした。改めて分かってくださることと先生の存在のありがたさには感謝の言葉よりありません。
医療を中心とし自分の人生を作っていけるかとのお話も、祖母との話に重ねると深く頷くばかり。思わず「いけません!」とも勢いよくうなずいてもいました。
コンサートと応用コースによって、疎外の苦しみから抜け出すことができましたが、またいつそうなるかと怯えながら生きるにはあまりに素晴らしい体験をさせていただきすぎました。
過去に戻ることはもう考えずに、新たな表現方法をと思い、さっそく実践させていただきました。
続いて仕事も新たにつくっていきます。
言葉のスケールをみみっちくしないよう大きい言葉を使っていきます。
中川 秀之