とてつもないスタートです
とてつもない連続コンサートの始まりでした。10月の山を乗り越えてと表現しましたが、山どころではない、まさに人生の賭けどころとわかりました。背中に火がついたようになり、ピアノの音は目を覚ませ。いい加減にしろ。しっかり生きろ。と喝を入れられているようで、自然と背筋が伸びました。先生のコンサートでは背筋を伸ばすように聴くことに努めますが、生き方が本気になって勝負を賭けていれば自ずと背筋は伸びることを経験し、今までがいかに甘く生きていたかにも気づきました。情けに弱いなど、甘く生きている証拠です。五輪書を読んでも、君子論を読んでも、勝負の時は生命賭けであり、生きるか死ぬかの勝負の時に情けなど介在する余地はありません。
第一部では神々の融合を見ました。「親和性」というメッセージを心に聴かせていただきましたが、私には神々の親和性を見ているようでした。世界各地で出会った神々がそれぞれが存在現れながらも融合していくのです。その力は宇宙をも動かすと見え、とても感動しました。体は熱く、燃えるようです。親和性とは化学用語であっても存在をあらわす時に最も重要なことのひとつとして、使ってくださったことをメッセージには記されていました。「存在をあらわす時に重要なことは全身の働きをフルに活用されていることです。」とのメッセージも心に聴かせていただきました。演奏からは神々ばかりが現れ、これからは神々が融合し、力を合わせ新しい時代を切り拓くと見えました。
第2部は、アリラン的と表現させていただく演奏に何がとは表現できないのに、胸深く揺さぶられ涙が溢れてくるのです。何度も武者震いが起こります。そして何度も意識する間も無く涙が溢れます。高句麗的と感じる演奏は私にとって魂の故郷でたくさんの同胞に出会えた感動で感無量でした。昨日、キッチンラボにてモスクワでのカフェ展開の夢を抱き、モスクワへ行っていた時の風が吹きました。今日も書類を整理していると、その時の写真から資料が出てきました。私にはロシアの大地のように同胞探しは壮大な夢の香りがするのです。別れた同胞探しにロシアへ行くようになり、ギャラリーをオープンし、同胞探しのポスターを作り、ウインドーに貼っていたことなど、ひとつひとつはとても楽しいことでした。今日は壮大な夢に向かい生きていきたい気持ちでコンサートホールに向かいました。私には圧巻の高句麗的演奏と聞こえ、ロシアへの夢が蘇ります。今日のコンサートはロシアの人がたくさんライブ配信にて聴いていただいている予定でしたが、時にロシアの寒い空気までも感じていました。神々も融合し魂も融合しひとつになり新しい時代を創り出していました。そして今の時代をなんと見ているのか。目の前で全身全霊で弾いておられる先生の存在は、人類史上初めてであるのに、何故人間は動かぬのか、寝ぼけている人間を一喝しているように感じ、瞬間瞬間正され、正しの連続でした。軸を決め、姿勢を正す訓練でした。私はもっともです、と頭を垂れ、目を覚まし、大きく動くことを心に誓いました。背中は押され続け、火がつき、とてもじっとしていられるものではありません。コンサートが終了し、スタッフにはいい加減目を覚ませと話していました。いだきを始めた頃、この世に新しい何かが現れた気配に人は集い、気持ちでコンサートチケットを共に販売してくれました。皆でコンサートを満席にすることより考えず、一生懸命活動しました。今は活動もせず、コンサートは自分だけのものにしているような空気は、世界を変える場にはふさわしくないと感じます。人間が人間とし生きていけない世の中を変え、人間とし生きていける社会を作りたく、いだき講座、コンサートを始めさせていただきました。世界を変え、平和を実現したくコンサートを開催しています。世界を変えられる先生に出会い、世界を変える演奏をお聴きできる稀なる恵、光栄に与っていることを正確に受け止め、よくわかりなさいと教えられているように感じました。真に受け止め大きな夢の実現に向かい大きく生きていきたい気持ちが湧き出てきます。溶け合うこともできない関係など本来は成立する訳がないのだとわかります。
大きな山を乗り越える気持ちでスタートしました今日のコンサートは、一人一人の生き方、在り方がそのまま現れ、一人一人正念場を迎えていると感じます。私が予感していた以上に勝負の賭けどころでした。軸を外れたらどこへ行っても生きていけないのです。あまりに畏れ多く、畏れ入ります。また、明日も出直す気で向かいます。ありがとうございます。