心の中心に光るもの
京都応用コースにライブ中継で参加させて頂きました。
始まりに世間のことをお話下さり、世間ではなく社会で生きていくことを自分の中に明確にすることが出来ました。思えば幼少の頃からずっと世間と戦って生きてきましたが、先生のお話をお聞きする中で、自分は戦い方が下手であると思いました。カッと腹を立てて相手に立ち向かっても、同じ土俵にいて戦うのでは相手の思うままであり、結局変わり者扱いされ悔しい思いをするのが落ちでした。それは世間というものをよく理解していないからであり、社会学という学問はあっても世間学は無い、というお話がとても納得がいきました。
自分のやりたいことをゴールを決めてやっていくこと、新しいことにチャレンジすること、体を動かすこと、食べ物をちゃんとすること・・・先生が講座でお話下さったことは、世間ではなく社会でまっとうに生きられるようになるための修練、鍛錬なのだと受けとめます。先生が、裁判をしたら必ず勝つ。そうしたら世の中の人の希望になる。とお話されたことがとても心に残りました。先生は自分個人の勝った負けたで裁判をしたり生きておられるのではなく、いつも世の中、世界、地球全体を良くしていくことが心にあり、どんな些細にみえることでもそこから行動されているのだと感じて、とても心に入りました。
日本を1000年以上苦しめている世間というものを壊し、本当の意味での社会、人と人とが通じ合える、理解し合える、本当の温もりの中に生きられる社会を創ることは、子供の頃から世間で苦しんできた自分は心底から欲してきたことです。同時に、日本人全てが本当はそれを願っているのだと感じます。日本人は本来、世間を神のごとくに拝んで恐れて生きるような民族では無いと感じます。日本の魂が無くなってしまうのではないか、日本という国が無くなってしまうのではないか、という不安がふっとよぎるとき叫びたくなります。私は決して日本が滅びてほしくないし、日本の魂が再び光り輝き、復活して欲しいです。自分のやりたいことをするのも、体のことや食事を気をつけ、元気で美しく生きるのも、全て、まっとうな社会をつくり、日本の国をよくして、日本の魂が再び光り輝き復活することが、世界にとっての希望となり、日本は世界の要になることを心から望むからだと・・書いていてわかりました。そのために貢献させて頂ける一人に成りたくて生まれ、今生きているのだとわかりました。
お話の後半では、ずっと喋れること、たとえ1分でもいいから止めどなくきちっと喋れること、というお話がありました。喋ることが苦手な自分ですが、そう決めつけてしまっているだけなのかもしれません。大学生の時、殆ど喋らない自分が、或る講義でとても心に入った本の感想について周りを気にすることなくずっと喋り続けたことがありました。(今日はずいぶん喋るのね・・)とクラスメートが不思議そうに戸惑っていたことを思い出しました。その時、自分は思い切って喋ろうとか、意識して長く喋ろうとか思ったのではなく、心の中心で光ったことを夢中で表現していたのです。そのことを思い出しました。天皇陛下の前でも同じようにお話できること・・というお話に、何故か不思議と心が明るくなりました。苦手だと決めつけないで、自分の心の中心にいつも光っていることを一人で持っていないで人にも表現することをしていきます。
ライブ配信をお聞きしている時は、ぼんやりした輪郭でしたが、書かせて頂くなかで、ほんとうに沢山のことを吸収させて頂いているのだと実感します。パソコンの画面をとおしてであっても先生にお会い出来ることがとても嬉しくて夢中で聴かせて頂きました。部屋の空気もどんどん澄んで明るくなり、平日の仕事帰りとは思えないほど、とても爽やかで広く、軽い心になりました。今日の一日を本当にありがとうございます。