表現
高麗さんの書き込みを拝見し、多くの方が抜け出し口を求めて集まってきているように感じます。コンサート参加に前向き検討していた方から、やはり遠いし、移動中にコロナにかかっては怖いのでやめます、とあきらめのような返事が来て、しばらくすると世間に戻り、臆してしまう。コロナ禍で人の判断がおかしくなっていることに気づきます。しかし、世間に負けていては、その人ご自身が進めない、稼げない、ということも目の当たりにします。表現すると決め、伝わっていなかったこともハッキリと強くお伝えするとまた前向きになりました。先入観なしに色々な人に伝えていくと、意外な方から連絡が来てご参加の連絡が来ると嬉しいです。先日のボランティアミーティングでもお話ありました、とにかく伝えておかないと何も始まらなく、意識ではとらえられずとも人の生命は先生のコンサートを求めていることもよくわかります。表現し続けていくことで落ち込んでいくような曇りはなくなっていきます。
先日は、「コマラジ」を聴かせていただいて、高麗さんが自由に表現されておられるのを感じて楽しく、嬉しく、表現される場ということを考えました。
応用コースでは、コーチングのお話ありましたが、先生は、命ひとつになって自分の直らない癖もその状態も、ご指摘をいただくと、自らの命でわかります。自分の在り方が変わると相手の在り方が変わることを経験し、問題だったことが解決へ向かっていっています。そして、その翌日にはかつてないチャレンジのし甲斐のある仕事の依頼が来ることがありました。コーチングと言えるかどうかというところではありますが、先生のコーチングは本当にすごいです。ゴールの設定についても、小さいことに気づき元気が出なかったのですが、立ち上げた後にひとつ創ったら、次。また、次…。と大きく展開していくと夢広がり、動きも快活になります。計画を表記していきます。アントレで、「ようやく仕事つくれる時が来た」と先生のおっしゃった言葉が命に響いていて、「自分のやりたいこと」をしていく、今脱皮の時です。明日、明後日のコンサートと向かいます。ありがとうございます。