KEIKO KOMA Webサロン

8/23の尊い経験


コンサートの前に初めて京都高麗屋さんの幻のコグリョカフェにお伺いしました。慣れないことなのでエイッと勇気がいり、伺わないためのもっともらしい言い訳もいくつか浮かぶのですが、「強制だ」と列に並びました。伺ってみて、奮発して一流のものに触れる経験、現状でよしとせずにより高いところへと飛び込む経験の尊さをわかりました。一言でいうと自分は「野暮」なのです。これはどんなに一人で部屋に閉じこもり計画を立てても、ノートに書きだして整理だけをしていても、洗練されてはいかない。人の中に入ってどんどん自分を正していくのが一番早いのだと体で学びました。

いただいた詩は

【作った自分を

演じることはおわり

空間とひとつの

広い自分

自由 生きる】

頭では整理できないまま、思わず「本当ですか!?」と声を上げました。「恥ずかしいのよね」と仰る高麗さんに驚愕しました。もちろん王様を疑っているのではなく、「こんなに本音を整理し、嘘無く生きれるようになったつもりなのに、まだ自分を作っているなんて・・・。」と驚いたのです。そしてこんなに恥知らずなはずなのに、恥ずかしいとは・・・。東北人なのにニセ関西弁を話してはしゃいでいたから?と混乱しながらも、もちろんそんな表面的なことの問題ではありません。なにか被っている固いヘルメットをかち割られたような、真実を見抜かれたような気持ちになりました。

人からわかってもらえる経験のまれなること、その温かさ。ありがとうございました。

その後、受講生さんの、同じように幻のコグリョカフェでいただいたという詩を見せていただき、私の女性としての命が反応しました。「くやしさ」という一言に燃えるように熱くなりました。今は自分で言うのはなんですが腑抜けのようになっている私ですが、諦めの下にある、くやしさ、怒り、やるせなさ・・・。怒りをバネに仕事を頑張った数か月が過去にあり、その時の怒りが甦り、成った言葉はここでは書くことを控えますが、頭がフラフラとなり、いくつか電車に乗り間違えながらギリギリコンサート会場へ到着しました。

こんなに頭にきてどうするんだろう・・・そんな熱を懐に第一部は始まりました。

愛で怒りが溶けていく経験はこれまでもしていましたが、大きく包み込み溶かして下さるパイプオルガン、美しい倍音で分解するように受け入れてくださるピアノ、その空間に救われたと感じるのでした。

先生と高麗さんが出会われた日で、お兄様にも関係するこの日に、尊い経験をありがとうございます。すみません、これから夜行バスへ乗りますので、御礼のみで、失礼致します。

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盛岡にて
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盛岡市民文化ホールにて
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三鷹市公会堂光のホールにて-2