7月のコンサート、講座をありがとうございました。
7月20日は、光のホールの会場でコンサートに参加することができました。コンサートの最後の音は、今でも忘れられません。一筋の光線のような響きで、
これまで聞いたことのない音、あるいは聞こえなかった音でした。浄化された澄んだ空間でしか感じられない響きに身を置けて、その音を聞くことができました。静かなピアノの音が、私の心と体の軸と共鳴し、中心を示してくれました。その瞬間を思い出すたびに、今も涙が滲みます。この空間だからこその響きかもしれませんが、ノイズの多い日常でも、この経験は私にとって道標となるでしょう。
会場を後にし、帰路につく際、好太王の詩で詠まれる「心静かに」が思い出されました。戦場であっても、この雑多な日常であっても、自らの向かう方向はこの道標です。仙台のコンサートでは、初めての特別な体感がありました。終盤に突然、体が浮き別の空間に包まれたかのように、体の内に新しい世界が広がるのを感じました。
一方で、日本の現状について考えると、悔しい気持ちが募ります。SNSでは、日本人としての立場を貶めるような情報が溢れています。それを否定できない日本政府の方針に、苛立ちを覚えます。そんな中、先生や高麗さんの存在は、私にとって心の支えです。
最近知ったロシアの学者の話では、イランとイスラエル、そしてウクライナについて触れ、「プレイヤーが変わった」と述べていました。この「プレイヤー」という表現から、人類をコントロールしようとする勢力や、人類が繰り返してきた悲惨な出来事のシナリオについて考えさせられました。このような争いの火種は、私の心の中にも存在します。気づかぬうちに、私自身が「プレイヤー」と化しているのです。何かに触れたとき、内なる怒りや妬み、嫉妬、疎外感、疑心といった感情が増幅され、頭を侵食し、ループし始めます。そして、その感情はどこかへ、誰かへと向けられそうになります。どんなに消そうとしても、気がつけばそれが頭の中で回っています。コンサートに参加すると、そうした感情が浮上しますが、ありがたいことに、終わる頃にはそのループが止まります。内面にあるものを言葉に表すことしかありませんが、言葉にならないことも多く、苦しみます。それでも、目に見えない命や力、そして道標は、コンサートの経験を通じて確かに感じることができます。
コンサートや講座の機会があることに救われます。そして、その経験を日常に活かしていくことに尽きます。誠に、ありがとうございます。