KEIKO KOMA Webサロン

600光年先へ


コンサートメッセージ、ありがとうございます。
銀河鉄道、ゴミを運ぶのを手伝ってくれて、ありがとうございます。
先生、休みなく、私達の精神、体のゴミを処理してくださって、ありがとうございます。

一部では母の事を感じ、母がいなくなったら私は生きていけない悲しみを感じ涙にあけくれました。
泣くだけ泣いたら頭がスッキリしました。心配性の性格は頭にゴミをためるのが常ですが、この度の経験で、もうさようならです。
二部では体から力が抜け、ただそこにいて音を聞いていました。また、母のことが表れ出て、泣きます。母はまだ生きているのになぜこんなに悲しいのか、ひたすら涙が流れるのです。それも次第に収まりアンコールになりますと、先生のお召のお着物の柄が、海の波模様となり。みんなの手拍子が音を立てる度に、波から光がキラキラ生まれるのです。、波から光がキラキラ生まれ。海の水がきれいになっていくのでした。

盛岡コンサートのこの日は、ようし、今回は民家だ、と、民家を探し、飛び込みしました。3件目で会社の若い社長に本を買って頂き、お釣りは支援としますと、2千円、すっとお金を差し出され、時間があればコンサートに行きたい、と仰って下さいました。

朝、盛岡に着き、行きたいところを書き出しました。駅から徒歩15分とあり、1.5キロくらいか。。行く道も探すのもそこまでして本音かなぁ、遠いしなぁと、行くことは頭の中では忘れていました。今回は思いつくまま、路地に入り、民家をあちこち探し飛び込みしました。どのくらいたったか、ある家を訪れ、断られ、ふっと後ろを振り向くと、最初に書き出した。ある企業名が書いてある看板が眼の前にあり、稲妻が差し込むように、驚きました。スマホのナビも見ないのに、ちゃんと、書き出したところに行っていたのです。このような不思議な経験を、その企業の中の、(丁度皆様テーブルを囲んでのお昼ごはん中だったのですが)、にお話したら、皆さんも、声をあげて、驚いておられました。
ご縁ですね、と言い、リムを一つ、皆様に置き土産に差し上げ、美味しかったらリビートしてくださいね、と言い、その場を立ち去りました。
この度の貴重な経験を活かして参ります。
盛岡に越させて頂きまして、先生、高麗さん、
本当にありがとうございます。

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高句麗 始まり第5弾
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ウラジオストクにて
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結工房より:シダモ