3月11日慰霊コンサート
今月は自分の誕生月であるのに、ボランティアミーティングとコーヒー販売が重なりアントレに行けなかったこと、チケットを預かっていなかったこと。世俗にはまり自分のことで精いっぱいになっていたことは、実は誰にも話せなかったのですが。2月の狛江応用の日の仕事の時、昼休みにある出来事があり、霊魂を身に受けてしまい、仕事中に頭が多次元をさまよい、なったことのない貧血状態になり、次に食中毒のような状態になり、仕事中何度も休憩をいただきトイレに駆け込みました。そのあと応用コースにたどり着き、この日にこのようなことが起こることの意味をわかろうとする頭もありませんでしたが、先生にお会いでき、心安らぐばかりでありました。しかし、最近は夜になると足が極度につり、動けなくなる経験を連日するので夜になるとこわくなっていた数日を過ごしていました。霊魂の仕業であると、最近ははっきりわかるのです。昨夜はまた霊界をさまよう夢をみ、帰り道がわからなく、ガスでたちこめる霊界を歩いている人に帰りのバスはどれかと尋ねている夢でした。寝る前に目をつむると、内面に虫のようなものがたくさんいる状態も最近はよく見えます。それを直したいという気持ちすらなく、あきらめている状態は、まさに世俗にはまっていたと、言えるのでしょう。おおいなる存在とつながらないと霊魂にのさばられ、霊界をさまよう人生となること、身をもってわかる月であります。この度のコンサート第一部のメッセージ、
死者と魂と今に生きる身体とは、少しの狂いもなく通じ、つながっています。
「慰霊」は一人一人の人生そのものです。
では、上記に書きました自身の経験を証明するものであると感じます。第一部では音はお聞きしていてもそこにいるといった状態です。第二部ではのどがおかしくなり、このままでは咳がでると感じた予想がやはり現実となり、咳を抑えようとするのでよけいに苦しかったです。ですが、このようなことは、過去コンサートで何度もあり、おそらく何かが体の中から出て行ったのだと感じます。そして、その時はわからなかったけれど、後からおそらく本音がきっと出てくると、予想しながら帰途につくのです。昨夜みた夢、今日、出会った人から感じたメッセージ、帰り道ひとつひとつ検証しながらいくと、見えてきたものがあります。高麗さんの書き込みを読ませていただき、自分を生かし、先生の役に立ちたい気持ちがありながら、ハードな今の仕事に頭をとられ、めちゃくちゃ世俗にはまり、精いっぱいになってしまい、いだきでない方向にいってしまっている自分を申し訳なく感じている気持ちを確認します。仕事をしなければ全てのコンサート、講座にもいけませんし、どうするか、です。コンサートのご案内、チケット修行があることが救いです。頭が正常になってくることを優先に生きていくことが、必須、と感じます。霊魂に憑りつかれるとおかしな頭で生きてしまい、憑りつかれていることもわからず、そのまま生きていくと、中心からますます外れていき、体も悪くなっていきますので。。これを日々やっていたのだと感じます。人はいだき講座を知らないし、霊魂に憑りつかれ、そうやって事件に遭遇したり、事故にあったり、病になったり、生命が犠牲になっていくのだと感じます。生命の仕組みをわかり、人間とは、の理解をひとつひとつ自分の言葉で表現し、命にとめておくことが必要です。
この度のコンサートでは、慰霊の日のコンサートで再び生まれた、今からこれから を、やっていこうかな、という気持ちが多少なりとも生まれたことに、かすかな希望を見出します。書き込みにもありましたように、過去の霊魂が報われないと自分を生かしていけない状態で生きてしまうこと。先生はこのためにずっとピアノで表現をされておられること、経験できた一人一人が周りに伝えて、人を助けていくことはその人のたった一回きりの人生を救うことになると感じます。高麗さんが身に受けられとてもしんどかった経験は、霊魂の生前どのように生きていたかの状態を表していると感じます。どう生きるかは、死んだ後の世界とひとつに繋がっていることを分かり、生きている今の人生、自分を活かし輝いて生ききっていけるよう、道をつくっていきたい気持ちが生まれます。今までも空間から、人から、出会うものから同じメッセージをいただいていたことも蘇り申し訳ない気持ちが噴き出てきます。見失うことのないように、行動に起こしていこうと、ここに綴っておきます。ありがとうございます。終演後のウクライナや高麗さん、えりかさんのさわやかな笑顔に、空間に色とりどりの花が咲いたようにとても幸せな気持ちになりました。世界の人たちが、先生の演奏で幸せな笑顔になるような未来を創っていきたいです。