3日間の素晴らしい経験をありがとうございました
14日の応用コースから、銀座ヤマハ、三鷹のコンサートと3日間連続の催しにて、素晴らしい経験をさせて頂き、感謝でいっぱいです。
私自身ケアの仕事の中でどうにも乗り越えられないことがあり悩んでいました。
応用コースにて、新しくできるNPOいのちのデイケアのお話の中で、職員が幸せでないと駄目とお聞きした時、じゃあ私は今幸せじゃないのかな?と考えた瞬時、自分の脳が幸せになっちゃいけないと言っていることがわかりました。
仙台 泉の地でのコンサートで、圧倒的に自分の存在を肯定される愛によって解放される経験をしたにも関わらず、私の頭は頑固に自分が幸せになることを否定している状態がわかり、胸の内が暖かく楽になり溢れる涙と共にほぐされました。
お話の中から記憶とお聞きし、幼少期に父が病気で受け容れて貰えなかった記憶が根強くあることをわかっていました。
銀座ヤマハコンサートの第1部 passion とはイエス・キリストの受難の意味もあることをお聞きし、私には演奏から先生が受難を再現されるように表現されているように感じてしまうのでした。私は幼い頃から父が精神的に苦しい状態であったことを感じ、せめて自分も同じであれば父を1人にしないでいられると考えました。受け容れて貰えない悲しみも恨みもありましたが、せめて同じ状態を共有することが自分なりの愛の証でもありました。私はキリスト教徒ではありませんが、罪の意識を背負うという感覚はわかります。
演奏が進むにつれて、魂と感じるような深淵な世界を感じ、表現によって洗い直しをされているような、そんな風に感じていました。
第2部の演奏は、均整がとれて緻密に綺麗でありながら、美しく流れる水の流れを感じました。ふと仕事で関わっている方々の顔が浮かび、何方の生命の中にも水の流れがあるように見え、生命の中を流れる水が澄み渡り清らかになってゆくことが、世界全体の幸せになってゆくと感じました。
どこまでも澄むように、清らかに生きることが、これからの真の生き方と教えて頂きました。
三鷹のコンサートの第1部、冒頭の20分間の演奏をお聴きしていると、うつ伏せになって本を読んでいる父の背中をベッドにして寝転んでいた幼い頃の記憶が蘇ってきました。父の大きな背中をすべり台にして遊んだこと、山の向こうまで歩いて海水浴に行くのに歩き疲れた私に姉が即興で替え歌を作って笑わせてくれたこと、一緒に過ごした、楽しかったり温もりがあった場面場面が演奏と共にどんどん蘇ってきて、まるで記憶を塗り替えてくれているようでした。悲しみや辛さはショックが大きいから、そのことばかりが記憶に残り脳の中心を占領していたけれど、思い起こせば、受け容れられ、可愛いがられ、ぬくもりの中で共に過ごした時間があったことが洪水のように自分の内に蘇ってきて涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、頑なに残っていた悲しみの塊が溶解されてゆくようでした。
後半の演奏からは、自然と一体となって生きることを感じていました。時間によって微妙に変化してゆく自然の移ろい、空の色、風や木々のそよぎ、その美しさの中で共に生きる、生かされること、人の優しい気持ち、どんな時もそれがあるから生きてこれたと感じるのでした。
第2部では、演奏から余計なものが払われ、何もなくなり、神殿のような神聖な空間が創られていることを感じました。あとはただありのままの自分でそこにいることしか出来ませんでした。頭は少し縛られ首と肩は緊張している、その状態のままでただ演奏にうたれているのを感じ続けました。何もない心地よさの中で、ど真ん中にいるという感覚の時、天と繋がるように軸が合うことを感じました。
アンコールの演奏は黄金色の世界でした。
感謝では言い尽くせない3日間、本当に生き直しの経験をさせて頂き、奇跡のようです。
記憶とは、自分の都合で残ることがわかり、苦しみから逃れる為に解釈し、それが自分勝手の元となり、更に自分を縛り苦しめることがわかりました。
本当のことをあらわしてくださることが救いです。
これからは、ただありのままの自分で生きることしか、道がないことを感じます。
ただありのままを、綺麗に生きてゆくこと。
いだきしん先生、高麗恵子さん、今の時を創ってくださり、心よりありがとうございます。