生まれてはじめて
コンサートに向かう車の中、横に乗っている友が「その戦闘機みたいな運転をやめて」と笑い、今日は確かに私の運転で車が戦闘機みたいな動きになっているのを感じながら向かいました。途中、明け方に書き込んだ書き込みの事を思い出し、バク転に挑戦すると書いたのは実は自分では「バク宙」の事だったので最初生徒たちが挑戦すると聞いた時は大丈夫なのかが気にかかっていたのです。バク転という技の正しい意味をつい数時間前に理解したばかりだった私は、拍子抜けし、意味が違ってたなんて今さら書くかなぁなどと思いながらたどり着きました。
第一部のコンサートメッセージ「偉大なる幼稚」に瞬間ドキッとして、きっと恥ずかしい事だわ、私かぁと思いながらまた自分のおかしなところと対面しないといけないかも知れないと真っ当になる覚悟で座っておりましたら、聞いたことのない凄い事が、いつもより言葉の最後が静かに空間に溶けて消えてゆくようにも感じられる高麗さんのお声で読まれました。
第一部、はじまり、ピアノの音とひとつに幼い子の両手のなかから蝶や雲や星と、ありとあらゆる素敵なものが生まれては飛び立ってゆくのがステージいっぱいに見えました。次にまたピアノの音が変わったところで、地球よりも大きな子供が地球の上いっぱいにクレヨンを大きく斜めに動かしながら塗り進めていくのを見ていました。すごく自由に描くので、その可愛い絵は地球を覆いつくして今度は地球から大きくはみ出し、空間全体、宇宙にまでどんどん描き広げられて、止まることなく自由自在にどこまでも拡がりゆくのです。
スパークするような天才の創造のエネルギーが途轍もなく集中したそのピュアな状態に働きかけ、熱量少しも落とさずやり続けるやり方から、働きかけ常に受け、まわしてゆける在り方まで、すぐそばで見せてもらうようにして経験させて頂いているようでした。止まることの無い活動には常に熱、愛がどんどん供給され、それとひとつである活動には無駄もなく疲れなど来もしません。ある連続した光の音のようなところでは、今、今、今、今、今、今とその音の光、コンサートメッセージの愛に次々出会ってゆくことと分かり、飛び魚のように気持ち良く軽快に、ズレる事などあり得ずゆくのがとても気持ち良く、これで最初に出会った愛で止まったりしたら、もうぜんぜん動けないという事が自分の立っている無限の空間の足元遥か下の方にある最初に経験した愛( 正確なコンサートメッセージを見ましたら、はじめて知った愛とありました。)は覗き込んでももう見えないほど高みにいるのです。
今、今、今、と先生の音とひとつになり、何と心地が良く、居心地良いのだろうと喜んでいたら、いつも気持ちを伝えて来てくれる私のチアダンスの生徒で小学校の高学年の女の子が昨日話しに来てくれた事が浮かんで来ました。「先生、私はもう恐怖は乗り越えた。へっちゃらになった。」と「だけどしっくりする先生とそうでは無い先生が…Y先生。」とちょっと言いにくそうに話し、他にも私の知らない先生がある日居なくなったと言うのです。しっくり来る事に付いては「安田先生はいいんだけど。」となったので、へぇーと驚き、「そうなんだ、ありがとう。皆んながチア楽しく出来るように頑張るね」と伝えると、とても嬉しそうに頷き、はしゃいで自転車置き場まで降りて見せ、笑顔を投げかけてくれ、私は彼女の初めて見る無邪気な一面に驚いたのです。
恐怖で皆んな感情が出せなくなっていたのが分かりました。その子が首を傾げるY先生も実は怖かったんだと気が付いていました。そのY先生や私や生徒達の恐怖は、厳しかった最初の先生が子供の時に受けた恐怖だった事、私も娘を傷付けた母親として、よく分かり、このお嬢さんはそんな事もどこかで分かって受容したのだと感嘆の溜め息が出る今です。年末の参観日の終わった時に私のそばに来て「安田先生は消えないでね。」と静かに言ったこの少女の存在がコンサート中もずっとともに在るのを不思議に思いながら、しっくり来るという彼女の出した言葉が浮かぶのがなぜかと思っていましたが、存在について第二部で思わぬ凄い体験をさせていただきました。そこでその生徒をはじめとするすべての生命に働きかけるエネルギーに成る体験をしたのですが、まだ第一部の事を書いているので一旦戻ります。
第一部の先生のピアノが表現して下さるあまりに心地の良い世界に、実際に風まで吹いて来て、空中ではまたもう一つの次元の音楽が鳴っているし、私の右側にはきれいでまっすぐの幹をした背の高いきれいな樹が2本生えているし、その高みには青い小鳥たちが住んでいて、その鳴き声が本当に2回聞こえたのでした。優しい太陽も感じられ、愛が分からずに本当に悪い事をしている人たちはこの、天才が描き、創った美しい世界では目立ち過ぎていとも簡単につまみ出されると思われ、美しい色彩の明るい世界の上に黒い丸まった虫がコミカルに悪目立ちして見えました。だけど、それでも自然界、宇宙が生んだ天才達はこの虫さえ可哀想な目に遭わないように取り上げて仲間に入れてあげるのかも知れないなと考えました。
驚きと喜びの第一部をいだきで生きる人たち、真の愛を経験したいだきの受講生が聴いたという事は、これから、あのうっとりする色彩豊か、愛豊かな驚きの世界が本当に創られるという事なんだ!と歓喜し、まだ一部しか終わってないのに、驚いて笑いしか出ないという愉快な境地になっていました。いだきしん先生の愛の戦略の凄いこと、凄いこと!15分間の休憩には受講生仲間と興奮し、喜び合いました。
そして迎えた第二部はどう表現しようにも何も出て来なくて、大切な事よく分かるようにこれからに備え、特訓して頂いているようでした。もう一度集中し、先生の音とひとつにと立ち返りました。お聴きしていると、いつしか、こんな幸せな事はないと、もう死んでも生きてもここで先生のこの音とひとつになる喜びに在り、本当に死んでも私は全体に戻るのだと思い当たり、どうなるのかと言葉にしてゆきましたら「私は愛になるし、喜びのエネルギーになるし、音になる」と考えるより先に言葉が情景を伴い出て来ました。
「生きている人にとって良いすべてのエネルギーとなっていつでも届くところに在る」と思いも寄らぬ涙が溢れ、ただそう出て来ました。空間ぜんぶに在り、我も何もなく、存在なのかどうかもどうでも良くて、生まれてはじめて経験する境地です。すべての生命とひとつに生命の光の網目のどこかで必ず繋がっているのが見えました。人が好きで本当に好きで、後に生きる人たちが幸せに生きるためだけにあらゆるところに遍く在り続ける喜びなのです。踊るように飛び回りステージの上、見えている音がオーロラのように立ち現れているところにも溶け込んでいってひとつになり、後に生きる人が寂しい時にも迷う時にも、あらゆる良きエネルギーとなってずっと使えるように永遠に空間に在り続け、護る私は、私は…「ひとつの音」という言葉と先生の最後のひとつの音が一部のズレもなくピタリと同時に表れ、コンサートは終わりました。拍手の中、いだきしん先生が立っていらっしゃいました。別の次元にもいだきが在るんです。別の次元にもいだきが在り、そこにも助けて頂いたのですと心で叫んでいました。